「ホッチキス」は、紙をとじる文房具として、現在ではオフィスや家庭、学校など当たり前のように普及しています。その普及のきっかけを作ったのが、国産発のハンディ型と呼ばれる小型のホッチキスを生み出し、これまで累計で4億台を販売してきたマックスです。現在も7割近くのシェアをしめるマックスのホッチキスが、ロングセラーを続ける理由を解き明かしていきましょう。
卓上から手のひらに、普及を進めた小型化
日本でのホッチキスの歴史は古く、1903(明治36)年に、ある商店がアメリカからの輸入品を発売したのがはじまりといわれています。その後、複数の会社が国内でホッチキスの生産を手がけるようになります。しかし、第二次世界大戦に入ると物資の不足によって、軍服の補修に使う一部のものを除き、ホッチキスの生産は休止することになります。
終戦となった1945(昭和20)年、航空戦闘機のウィング部品を製造していた山田航空工業は、山田興業(現マックス)と社名を改めます。同社は改称とともに、板金プレスの技術を平和的な産業に転用するため、事務器の生産を開始。その中で、ホッチキスに注目します。
そして、1946(昭和21)年、同社は卓上型ホッチキス「ヤマコースマート」の生産を始めました。この「ヤマコースマート」の登場で、戦後の日本におけるホッチキスの歴史は再び動きはじめます。
「ヤマコースマート」をはじめとした当時のホッチキスは、卓上型で大きく、重量もあり、またかなり高価だったため、オフィスに1台あるものをみなで共用するといった使われ方をしていました。
そんなホッチキスの概念を大きく変えたのが、1952(昭和27)年に山田興業が国内で初めて発売したハンディ型ホッチキス「SYC・10」です。
「SYC・10」は、「ひとりに1台持ってもらいたい」という考えのもと、“とじる機能”だけにフォーカスし、部品点数を最小限に抑えることで、手のひらにおさまる大幅な小型化に成功しました。
さらに、部品点数が減ったことで生産コストも抑えられ、「SYC・10」の価格は200円と、「ヤマコースマート」の半額以下となりました。ちなみに、200円は当時の物価などから換算すると、現在の価値としては7,000円ぐらいになります。
まだまだ高価なものではありましたが、それまで重たい卓上型のホッチキスで一苦労しながらとじていた書類を、片手で楽にとじられるようにしたことで、「SYC・10」はオフィスだけでなく、家庭という新たな市場も開拓しました。
ホッチキスと同義語になった「マックス」
1954(昭和29)年に、「SYC・10」の名称は、「MAX・10」へと変わります。その背景には、「マックス」というブランド名を前面に押し出すことで、商品の認知度を向上させると同時に、類似品に対抗する狙いがありました。
そして、同年に、販売会社として設立していたスマート製販の社名を、マックス製販へと改称。山田興業も1955(昭和30)年に社名をマックス工業へと改め、1964(昭和39)年には、マックス工業とマックス製販が合併し、現在のマックスという名前へとなります。
「MAX・10」では、さらなるコストダウンが図られ、最終的には… 続きを読む
マックス株式会社について | |
■ 事業内容 | インダストリアル機器、オフィス機器、HCR機器の製造・販売 |
■ 本社所在地 | 〒103-8502 東京都中央区日本橋箱崎町6-6 |
■ 資本金 | 123億6700万円 |
■ ホームページ |
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