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ニッポンのロングセラー
2016.11.09

カレーを国民食に育てた「赤缶カレー粉」の提案

赤缶カレー粉

 国民食として、老若男女問わず親しまれているカレー。その日本における普及に大きな役割を果たしたのが、発売から60年以上、カレー粉のシェアトップの座を守り続けるエスビー食品の「赤缶カレー粉」です。現在も家庭用カレー粉の分野で約80%という圧倒的なシェアを占める「赤缶カレー粉」が誕生するまでの歴史を振り返り、ロングセラーの秘密を探ります。

 

独学で日本初の国産カレー粉を開発

 日本におけるカレーの歴史を語る上で欠かせない人物の一人が、エスビー食品の創業者である山崎峯次郎です。1903(明治36)年に埼玉県北葛飾郡金杉村(現在の松伏町)に生まれた峯次郎は、17歳の時に上京し、ソース屋に勤めます。ある日の仕事帰り、峯次郎はたまたま訪れた洋食屋でカレーライスを生まれて初めて食べ、その美味しさに衝撃を受けます。

 大正時代、洋食屋で提供されていたカレーライスは、ハイカラな料理として人気を集めていましたが、そこで使われていたのは、ほとんどがイギリスの会社のカレー粉でした。当時、日本製として売られていたカレー粉もすでにありましたが、それは輸入した既製品の外国製カレー粉に唐辛子やミカンの皮を粉にしたものを加えただけのものでした。カレーの魅力に取り付かれた峯次郎はそれが不満で、カレー粉を自らの手で製造することを決意。ソース屋を辞めて、父親の店を手伝いつつ、カレー粉の研究に着手します。

 しかし、当時はカレー粉がどのような原料で作られているのか、国内で知っている者はいなかったといいます。峯次郎はまずカレー粉の原料を調べるために、洋食屋のカレーを食べ比べたり、神田の古本屋でカレー粉に関する資料を探したりすることから研究をはじめました。

 そうした日々の中で偶然知り合ったインドに長く住んでいた老人のつてで、インドからカレー粉の原料となる6種類のスパイスを取り寄せることに成功します。しかし送られてきたスパイスには名前が書いてありません。峯次郎は、その香りを頼りにこれはと思う原料を国内で大量に買い込んでは、スパイスの調合に没頭します。

 失敗を繰り返す中で峯次郎は偶然、スパイスを時間かけて寝かせ、個々の香りをまろやかにすることで全体を一つにまとめる“熟成”が必要なことを発見。さらにスパイスの香りを逃がさず焙煎するために“八角焙煎機”という装置を作り、ついに1923(大正12)年、独自のカレー粉の開発に成功します。

 日本で初めて国産カレー粉の製造に成功した峯次郎は、浅草七軒町に「一日一日を賀び、志をたてて商売にいそしみ励む」という自身の信念を屋号に込めた「日賀志屋」を創業し、カレー粉の販売を開始します。

創業理念は“美味求真”

 山崎峯次郎は、日賀志屋の創業理念を“美味求真”としました。「お客様に喜んでいただくために、満足していただくために、ただひたすら真っすぐに“本物のおいしさを追求する”こと」この理念は、1923年(大正12年)の創業以来、変わることのないエスビー食品の企業マインドとして、現在も受け継がれています。

 

日本で初めての家庭用カレー粉「ヒドリ印カレー粉」

 山崎峯次郎は、開発した国産カレー粉を1ポンド缶に詰めて業務用として売り出しました。しかし、当時の洋食屋の料理人たちは、「カレー粉は外国産」という意識が強く、日賀志屋のカレー粉はまったく相手にされませんでした。料理人としては、今まで使ってきたカレー粉を変えてまで、カレーの味を変えたくないという思いも強かったのかもしれません。

 そうした料理人の認識を変えるために、峯次郎は… 続きを読む… 続きを読む

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エスビー食品株式会社について
■ 事業内容 カレー、コショー、ガーリック等香辛料とチューブ入り香辛料等の香辛調味料、即席カレー、即席シチュー、レトルト食品、チルド食品、生ハーブ及びハーブ関連商品他各種食品の製造販売
■ 設立年月 1923(大正12)年4月5日
■ 本社所在地 〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町18-6
■ 資本金 17億4,400万円(2016年3月現在)
■ ホームページ

http://www.sbfoods.co.jp

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