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ニッポンのロングセラー
2015.06.17

100年愛されるブランドを目指す「白い恋人」の信念

白い恋人

 今回のロングセラー商品は石屋製菓株式会社の「白い恋人」。年間、約2億2,000万枚を売り上げる北海道を代表する銘菓です。戦後、家族経営の小さな駄菓子屋さんからスタートした石屋製菓は、「白い恋人」の大ヒットで北海道を代表する製菓メーカーに成長しました。北海道でしか買えない地域限定のスイーツが多くの人々を魅了し続ける理由は、頑固なほどのこだわりにありました。

 

天から降ってきたネーミングのアイデア

 「白い恋人」の歴史は、太平洋戦争後の北海道から始まります。創業者となる石水幸安は、1947(昭和22)年、札幌で政府委託のでんぷん加工業を始めます。その後、でんぷんの粉を使ってドロップの製造・販売を開始。家族経営の小さな駄菓子屋でしたが、慢性的に砂糖が不足していた時代に甘い駄菓子は飛ぶように売れました。その後、売り上げを順調に伸ばし、1959(昭和34)年には法人化し、石屋製菓となりました。

 ところが高度経済成長期を迎え、流通の発達で本州から大手メーカーの珍しい洋菓子が入ってくるようになると、たちまち地元の駄菓子業界は窮地に陥ります。価格競争を勝ち抜くために駄菓子屋の多くが安価な素材を使ったことで、商品の品質が低下。大手メーカーとの業績の差は広がる一方でした。

 同様に石屋製菓も経営状態が悪化。そのピンチを救ったのが、後に二代目社長となる石水勲です。東京の大学を卒業後、1967(昭和42)年に石屋製菓に入社した勲は、父の幸安とともに駄菓子から高級洋菓子へと石屋製菓のお菓子づくりをシフトさせます。最高級の原材料を使い、手間と時間をかけ、付加価値をつけることで、大手メーカーが大量生産する商品との差別化を図る道を歩み始めたのです。

 この路線変更が功を奏し、1971(昭和46)年に最初のヒット商品となる「シェルター」を発売します。これは翌年の札幌冬季オリンピックに向けて開通した札幌市営地下鉄をイメージしたトンネル状のクッキーでした。その後も札幌と小樽の間に位置する銭函(ぜにばこ)という地名にちなんだ千両箱型サブレなどを販売するなど、オリンピックにわく北海道で高級洋菓子ブランドの地位を築いていきます。

 続いて石屋製菓が注目したのは、一大ブームを巻き起こしていたホワイトチョコレートでした。ホワイトチョコをスマートに食べる方法として、ラングドシャークッキーでサンドしたお菓子を考案します。このお菓子の名前は、創業者の幸安がスキーを終えて自宅に戻ったとき、空の雪を見てつぶやいた「白い恋人たちが降ってきたよ」というひと言にピンときた勲が考案。当初、「白い恋人達」が検討されましたが、最終的に語呂のいい「白い恋人」に決まりました。こうして、1976(昭和51)年に「白い恋人」が誕生します。

魚をたいらげてしまった猫の話

 「白い恋人」のパッケージである箱や缶をよく見ると、さりげなく小さな猫のマークが入っています。これはホワイトチョコをサンドするラングドシャークッキーにちなんだもの。「ラングドシャー」とはフランス語で「猫の舌」という意味で、表面のザラザラとした食感に由来します。その後、ネコは2匹に増え、フランス語の「初恋」を意味する「プルミラムル」から「プルミ」と「ラムル」と名付けられました。なお「白い恋人」を発売する前、石屋製菓は創業者の趣味である釣りから魚のキャラクターを採用していました。「白い恋人」ファンの間では、「魚を目ざとく見つけた猫が平らげて、おまけに恋人まで見つけて2匹になった」という逸話が語られているとか。

 

空港に直接交渉する行動力で一躍全国区に

 口にした瞬間、サクサクのクッキーとホワイトチョコが初雪のようにスッと溶けていく。これまでにない斬新な触感のお菓子としてデビューした「白い恋人」でしたが、発売当初から大ヒットしたわけではありません。躍進のきっかけとなったのは、… 続きを読む… 続きを読む

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石屋製菓株式会社について
■ 事業内容 菓子製造業
■ 設立年月 1959(昭和34)年
■ 本社所在地 北海道札幌市西区宮の沢2条2丁目11番36号
■ 資本金 3,100万円
■ 従業員数 390名・グループ合計627名(2014年4月現在)
■ 業種 製造業
■ ホームページ

http://www.ishiya.co.jp/

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