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ニッポンのロングセラー
2015.04.01

帝国ホテル125年の歴史を支える“現場力”とは

帝国ホテル

 帝国ホテルといえば、誰もが認める日本の一流ホテル。1890(明治23)年の開業から、大正、昭和、平成という時代をまたぐ125年もの間、日本を代表するホテルとして、その名を世界に轟かせています。時代や世代を超えて愛され続けるロングセラーのサービスや商品には、きっと人々の心をつかんで離さない確かな理由があるはずです。帝国ホテルが愛され続ける理由をさまざまな角度から考察し、紐解いていきます。

 

日本の品格を世界に発信する帝国ホテルのはじまり

 帝国ホテルの歴史は、日本の近代化とともにスタートします。

 明治政府は、江戸時代に締結した日本側に関税自主権のない不平等条約(日米修好通商条約)の撤廃に向けて近代化の歩みを進めますが、世界列強は日本の後進性を理由に撤廃の申し立てを頑として聞き入れませんでした。状況を打開すべく、政府は外務卿(大臣)井上馨の主導で、1883(明治16)年に外国人の社交場「鹿鳴館」を建設。連日、舞踏会を開いて「近代国家としての日本」を世界に向けて発信します。

 この鹿鳴館外交により来日外国人の数は急増しますが、当時、首都東京には海外の賓客を迎えるのにふさわしい宿泊施設が圧倒的に不足していました。井上から相談を受けた渋沢栄一や大倉喜八郎は、名だたる実業家に協力を要請し、発起人会を組織します。そして、宮内省を筆頭に多くの財界人からの出資を受け、1890年(明治23)年に「日本の迎賓館」の役割を担う本格的な西洋式ホテルである帝国ホテルを誕生させます。

 鹿鳴館脇の国有地に建てられた初代本館は、ドイツ風ネオ・ルネサンス様式の3階建て。60の客室に加え、舞踏室、談話室、ビリヤード場などの豪華設備を完備した東洋一とも称されたホテルでした。洋風の外観とは異なり、内装は随所に日本の装飾や什器をしつらえた和洋折衷のスタイル。西洋文化の良いところを吸収しつつ、日本独自の素晴らしい文化を世界に発信しようとしたのです。

 また、帝国ホテルでは、ホテル内における郵便局の設置、洗濯部(ランドリー)によるホテルクリーニング、自動車部(ハイヤー)による送迎といった日本初のサービスを次々に実現していきます。ユニークなところでは製パン部があります。ホテル内のパン工場で焼きあげた自家製パンをゲストにふるまっていました。当時の会長だった大倉喜八郎が旅先でスカウトしたアルメニア出身のパン職人による本格的な「ロマノフ王朝のパン」は現在もその名残を留めています。

 当時の外交、接待を食卓で支えたのが、現在でも帝国ホテルの最大の魅力の一つであるフランス料理です。初代料理長・吉川兼吉による開業当時のレシピを見ても、当時の日本では群を抜いて高い水準であったことがわかります。

帝国ホテルをつくった男たち

 井上馨、渋沢栄一、大倉喜八郎の3人は、いずれも幕末維新の時期に海を渡り、西洋近代の現実を肌身で見聞してきた経験を持っています。西洋の国々と友好を深めつつ、優れた点を取り入れるという考えで3人は一致し、その思いが帝国ホテルをつくる原動力になりました。なお、帝国ホテルの初代会長は渋沢、二代目は大倉、三代目は大倉の息子である喜七郎が務めます。戦後の財閥解体の影響を受け、大倉喜七郎は帝国ホテルを去りますが、後にホテルオークラを設立するなど、日本のホテル業に大きな足跡を残しています。

 

芸術品の完成。そしてホテルとしての文化創造へ

 大正時代に入り、来遊外国人客の増加を背景に、帝国ホテルは初代本館の全面建て替えに着手。1923(大正12)年に、2代目の本館である通称「ライト館」が誕生します。設計を手がけたのは、20世紀最高の建築家として名高いフランク・ロイド・ライトでした。

 浮世絵をコレクションするほど日本文化に心酔していたライトは、設計にあたり、十円硬貨でおなじみの平等院鳳凰堂に着想を得たといわれ、その外観は、細部に至るまで左右対称の構成。さらには東洋風の屋根や庭、大谷石とスダレ煉瓦による装飾、幾何学模様の内装・家具も採用。ライト館は後に「東洋の宝石」と呼ばれ、まるで芸術品のようなホテルでした。

 ライト館でも日本初のサービスが登場しています。それは館内に直結するショッピング街。名づけられた「アーケード」という言葉が、いまでは街の商店街などにも広く浸透することになりました。

 ライト館の特徴は見た目だけではありません。奇しくもライト館の開業披露の当日(1923年[大正12年]9月1日)に関東大震災が発生。周辺の建物が軒並み倒壊、焼失する中で、ライト館の被害は軽微なものでした。地震の揺れを想定した新工法「浮き基礎」を採用したこと、館内でたばこ用のマッチ以外は火の気を見せないほどに徹底した“電気ホテル”であったことなどが、未曽有の大災害から建物を守ったのです。また、ライト館の庭園にあった蓮池は防災用の貯水槽としても設計されており、その水が近隣の消火活動に役立ったといいます。

 こうして震災を免れた帝国ホテルは被災者の避難場所として開放され、建物が倒壊した各国大使館や新聞社、電力会社などに仮事務所を提供するなどして、まさに“復興本部街”として機能したのです。

 震災を乗り越えたライト館は、大正・昭和初期の日本を代表する社交場になり、連日数多くの文化人が集うようになります。このあと日本に巻き起こるジャズブームに火をつけたのも帝国ホテルでした。

 しかし、穏やかな時代はいつまでも続きませんでした。第二次世界大戦での空襲にも耐えた帝国ホテルは戦後、連合国軍の宿舎として接収されます。… 続きを読む… 続きを読む

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株式会社 帝国ホテル (Imperial Hotel, Ltd.)について
■ 事業内容 ホテル業 (東京、大阪、上高地)、不動産賃貸業
■ 設立年月 1887年 (明治20年) 12月14日
■ 本社所在地 東京都千代田区内幸町1丁目1番1号
■ 資本金 14億8,500万円
■ 従業員数 1,865名(2014年度期末現在)
■ ホームページ

http://www.imperialhotel.co.jp

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