埼玉県日高市。東京から40~50kmほど離れたこの地に、年間400万人が訪れる“豚肉をメインとした食と健康のテーマパーク”がある。東京ドーム約2個分の緑豊かな敷地の中には、バーベキューや洋食が楽しめるレストラン、カフェテリア、ミートショップ、地元の新鮮野菜の直売所、自社製パン工房、天然温泉施設、子供用のアスレチック施設などが集まっており、連日多くの人で賑わっている。

 これらの施設を運営するのがサイボク(株式会社埼玉種畜牧場SAIBOKU、2018年4月に「サイボクハム」からリブランディング)だ。サイボクは1946年に養豚牧場として創業し、これまでに数々の銘柄豚を生み出してきた。創業者の笹崎龍雄(2012年96歳で逝去)は、業界で「日本の養豚の神様」と呼ばれるほどの存在であった。

 二代目として跡を継いだ長男の笹崎静雄は、敷地内に豚肉の直売所を開設して、牧場から出る堆肥を活用し地元農家と提携して地場産野菜の直売を行うなど、新たな分野に挑戦してきた。先に挙げた天然温泉などの施設群も、静雄氏の手によって生まれたものだ。

 しかしなぜサイボクは、養豚業だけにとどまらず、レストランや温泉をオープンするまでに至ったのだろうか。現社長の静雄氏に、サイボクのこれまでの歩みを聞いた。

 

日本は食糧で負けたのではないか

 創業者である笹崎龍雄は、1916年、長野県南佐久郡八千穂村(現・佐久穂町)の農家に生まれた。東京高等農林学校(現、東京農工大学農学部)の獣医学科へ進学後、陸軍獣医部依託学生(士官候補生)に志願。卒業と同時に太平洋戦争がはじまり、軍馬の育成や調達のために、満州やフィリピンを転戦した。だが、戦火が熾烈を極め軍馬が全滅すると、任務は豚や鶏を飼育したり、水牛で乾燥肉をつくるなど、食料の調達がメインとなった。

 ある日、龍雄たちがジャングルの奥地で塹壕を掘り、アメリカ兵の様子をうかがっていると、そこには缶詰を開け、ハムやソーセージを食べ、優雅にコーヒーを飲んでいるアメリカ軍の姿があった。一方、自分たちはすっかり痩せこけ、持ち物は手榴弾と軍刀だけ。龍雄はこの時「日本は食糧で負けた」と悟ったという。

 1945年、終戦を迎えて帰国した龍雄は、一面焼け野原となった東京で、親を亡くした浮浪児があふれ、闇市場では食料を求める人々が、卑しく浅ましい争いを続ける様子を目にする。そして改めて「日本は食糧で負けた」という思いを確かなものにする。

「いまの日本には食糧自給と増産が必要だ。自分が生き残ったのは、この仕事をやるためだ」と感じた龍雄は、1946年、30歳の時に縁を頼って、埼玉県高萩村(現・日高市)で、豚の育種改良と増殖を目指した牧場を創業する。もともと子どもの頃から家の手伝いで豚の扱いには慣れており、かつ当時は養豚業の社会的地位が低く、業界を発展させなければという強い思いもあった。

 龍雄は、世界各国の養豚業を調査しながら、品質の良い豚肉を生産する優良な原種豚を探した。日本の風土に合う原種豚を直輸入し、種畜の育種改良と増産技術の開発に全精力を注いだ。

 

父が大学の合格通知を破り捨てた理由とは

 静雄は、龍雄が牧場を創業した2年後の1948年、牧場の掘っ立て小屋で生まれた。だが、幼少期は苦労が多かった。新参者である笹崎家は、村では奇異の目で見られていた。父は元帝国陸軍将校で、母は良家の令嬢。しかもそんな一家が、“臭い”と蔑まれる豚を飼っている。大人たちの差別意識が子どもの世界にも伝播し、静雄は恰好のいじめの対象となった。

「学校帰りに待ち伏せされ、逆さ吊り、川での水責め、木に縛られての鞭打ちなど壮絶ないじめに合いました。ある日、父に話したら『悔しければ勉強で勝て』と一喝されました。そこで、いじめから逃れるため、小学校の図書館にこもり、本を読み漁りました」

 勉強することが趣味になった静雄は「弱者が強者に勝つのは難しいが、負けない方法がある」と考え、やがてジャーナリストを夢見るようになった。大学受験では、親に黙って文科系の大学を受験し、見事に合格。ところが合格通知を見た父はそれを破り捨て、「何を考えている!」と怒鳴り、静雄をひっぱたいた。父は、静雄が東大の農学部へ行くことしか考えていなかったのだ。静雄は結局、日本大学の農獣医学部に進学することになった。

「とはいえ、夢が破れたという気持ちでもありませんでした。心の中では父の生き様を尊敬している部分もありましたから」

 日大に進んだ静雄は、すぐに世界の農業について調べはじめた。豚の研究を徹底的にやろうと思い立ち、豚のデータを持っている研究機関を訪ね歩いた。ところが二年生になると、大学紛争(いわゆる日大紛争)が発生。授業どころではなくなった静雄はアルバイトに精を出す。さらに、中国文学者の竹内好氏が主催する「中国の会」や、天野祐吉氏が主催する広告研究会等々、30余の勉強会に出入りし、分野の異なる生涯の師や仲間と出会った。

 卒業間近になると、先輩から商社や広告代理店への入社を勧められた。しかし静雄は、父の後を継ぐべく、それらの誘いを振り切って、サイボクへの入社を決意する。

 

豚とともに寝泊まりし、27歳で辞表を書く

 サイボク入社後の静雄は、二代目にもかかわらず、厳しく指導を受けた。365日24時間、休みなしの勤務をしばらく続けることになった。

「本ばかり読んでいたので、現場の先輩たちから『お前、豚が何を言っているのかわかっているのか』と怒鳴り散らされました。昔の人は現場主義だったので、現場から学ぶ大切さもカラダで覚えました。

 当時はよく寝袋を持って、豚舎で寝泊りしました。豚は夜中に子供を産むので、毎晩、分娩当番と哺乳当番が必要でした。親豚が子豚を踏み潰さないよう、豚舎の中で夜中ずっと見守っているんです。おかげでくり返し、短く眠ることが上手くなりましたよ(笑)」

 豚舎での生活は過酷だったが、やがて豚のことがわかるようになり、次第に経営にも目が向くようになった。そして、当時のサイボクの経営が不安定なことにも気付き、その根本的原因が、… 続きを読む

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笹崎静雄(ささざき しずお)
1948年、埼玉県日高市生まれ。71年、日本大学農獣医学部卒業後、父 龍雄が社長を務める株式会社埼玉種畜牧場へ入社。創業時の種豚の育種改良・生産に加え、新たに食肉販売やハム・ソーセージなどの食品の製造販売にも力を入れ、事業を拡大。2001年、代表取締役社長に就任。「緑の牧場から食卓へ」のスローガンのもと、「食と健康の理想郷」に向けて進化をし続けている。

埼玉種畜牧場SAIBOKUについて
■ 事業内容自社牧場での種豚育種改良・肉豚生産、精肉・ハム・ソーセージ・パン製造及び加工品・食品販売、地元野菜の直売、カフェテリア・レストラン、天然温泉「花鳥風月」
■ 設立年月昭和30年8月17日(昭和21年創業)
■ 本社所在地埼玉県日高市下大谷沢546番地
■ 従業員数580名
■ ホームページ

http://saiboku.co.jp/

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