2018.02.08 Thu

大ヒット商品「ランニング足袋」を生んだ老舗三代目の苦闘

きねや足袋株式会社 代表取締役 中澤貴之 氏

 “ランニング用の足袋”が注目を集めている。伝統的な製法で仕上げた足袋に、やわらかくグリップ力のある天然ゴムのソールを手で縫いつけた「ランニング足袋 KINEYA MUTEKI(きねや無敵)」(以下、無敵)という製品だ。裸足の感覚に近い履き心地が特徴で、現在も品切れが続くほどの人気商品となっている。

 この斬新なシューズを開発したのが、きねや足袋株式会社を率いる代表取締役の中澤貴之である。足袋という歴史ある伝統産業の世界で、彼はどのようにして新機軸の製品を生み出したのだろうか。

 

家業を継ぎたくなかった三代目

 きねや足袋が本社を構えるのは、埼玉県の北部に位置する行田市。行田は江戸時代の頃から「足袋の町」として知られており、武士の妻たちの内職として足袋づくりがはじまり、明治に機械化が進むと、全国の約8割の生産量を誇るまで発展した。

 1929年、貴之の曽祖父である政雪はこの行田の地で足袋づくりをはじめた。当初は足袋メーカーの下請けだったが、戦後の1949年に貴之の祖父である武男が、きねや足袋の前身となる「中澤足袋有限会社」を設立。オリジナルの足袋の製造をスタートさせた。

 武男は足袋一本での仕事にこだわった。銀行からは「洋装が普及していく時代に、足袋一本の業態は危うい」と注意されたが、それでも武男は“足袋一筋”の方針を変えなかった。

 1964年からは、ゴム底足袋(地下足袋)の製造をスタート。高度経済成長による建設ラッシュの波に乗り、作業労働用の地下足袋の需要が急速に伸びた。翌年の1965年には、新社屋(現在の社屋)を建設するなど業績は右肩上がりになっていた。そして1966年、社名を「きねや足袋株式会社」に改名。資本金も600万円に増資した。

 貴之が生まれたのは1977年のこと。父や祖父からは、跡取りとして家業を継ぐことを強いられた。特に、父は厳しかった。日常生活の中でも甘えることはおろか、気軽に話しかけることも許さなかった。貴之は息が詰まる幼少期を過ごした。

「ずっと『お前が跡を継ぐんだ』と言われてきましたが、正直、継ぐのは嫌でした。誰でもそうだと思いますけど、人間って『やれ、やれ』と言われたら、反発したくなるものなんじゃないでしょうかね」

 家業から逃げるように、貴之は野球やバスケットなどスポーツに挑戦するが、いずれも挫折してしまった。勉強も好きになれず、人と関わることも苦手になり、いわゆる「ニート」のような、無気力な日々を送るようになった。

 しかし、あることをきっかけに、『自分が継がなきゃ誰がやるんだ』という気持ちが芽生える。

「祖父の死がきっかけです。祖父は晩年、3年ほど病院で寝たきりだったんですが、本当に死ぬ数日前に、私に向かって『三代目、よろしく頼むな』と、最後の力を振り絞るように呟いたんです」

 大学卒業後は、中国のハルビン工業大学へ留学。あえて日本人がいない場所を選び、未知の世界に飛び込んだ。そこでの生活が、これまでの大人しい性格を変えた。

「そこにはアメリカやカナダ、ヨーロッパ、アジア、ロシアやアフリカからも留学生が訪れており、みんな学ぶ意欲のある人たちばかりでした。私もいろんな国の人と接しているうちに、自然と明るく振舞えるようになっていました。やっと人並みに人付き合いができるようになりました」

 

悶々とした日々を変えた一本の電話

 貴之は留学から帰国後の2002年、26歳の時にきねや足袋に入社する。実は一般企業への就職活動もしており、ある証券会社には最終面接まで進んだものの、父に猛反対されてしまった。

 入社後は“3代目”だからといって特別扱いをされたわけではなかった。最初は足袋の袋詰めの仕事からスタートし、その後は製造ラインに入り、「引き伸し」「裁断」「掛け通し」「こはぜ縫い」「羽縫い・おや・よつ」「甲縫い」「つま縫い」「廻し縫い」「仕上げ」といった、足袋を作る際の9工程を担当。その後は出荷や営業に回るなど、きねや足袋のあらゆる業務を経験した。

 だが、足袋産業の斜陽化は年を経るごとに進行していた。社長を務めていた父の憲二は、業績を回復すべく、さまざまな取り組みを行った。ベトナムに工場を設けたのもその一環で、現在もきねや足袋の重要な拠点となっている。

 さらに全くの異業種として、OA機器のレンタル・リースにも取り組んだが、こちらは大手との競争に太刀打ちできなくなり失敗。その頃から、父の様子が徐々に変わっていった。

「経営者が盆栽をさわりはじめると引退が近いと聞いたのですが、あの頃の父はまさにそんな感じ。慎重になるあまり、釘を刺すようなこともありました。2010年から企画部長に就いた私は、何か新しいチャンネルを探り、可能性を見出すアクションを起こさなければ、この先、生き残れない、足袋の発想に縛られない製品を開発しなければ会社がつぶれてしまう、という焦燥感に駆られていました」

 貴之と社長である父は、次第に将来のビジョンやものづくりに対する意見が食い違うようになり、言い争いが絶えなくなっていた。

 悶々とする日が続いていた2011年の冬、一本の電話が本社にかかってきた。相手は… 続きを読む

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中澤貴之(なかざわ たかゆき)
1977年埼玉県行田市生まれ。2002年きねや足袋入社後、縫製・出荷・営業を経て企画部長に。2013年には新たなジャンルを開拓したきねや無敵を発売。2017年には行田足袋の伝統工芸士に選ばれる。

きねや足袋株式会社について
■ 事業内容製造業(足袋、地下足袋、お祭り用品製造・卸業)
■ 設立年月1949年9月
■ 本社所在地埼玉県行田市佐間1-28-49
■ 資本金1500万円
■ 業種製造・卸業
■ ホームページ

http://kineyatabi.co.jp/kineya/

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