未曾有の少子高齢化を迎えつつある日本において、将来を担う人材を育てる教育の重要性はますます高まっている。政府も、プレゼンテーション力やディベート力を育む「アクティブ・ラーニング」への注力を掲げるなど、国際社会での活躍を見据えた教育方針をへと転換を図っている。

 このように変革期にある教育界だが、110年前の創立当初から、世界に飛躍するグローバル人材の育成に力を入れ続けているのが、名古屋の学校法人市邨(いちむら)学園だ。名古屋経済大学や同短期大学、同大学の附属高等学校・中学校などを運営する同学園は、女子教育の先鞭者である市邨芳樹氏が、1907年に日本における女子商業教育のパイオニアとして、名古屋女子商業高校を開学したことに端を発する。

 同学園の理事長を務めるのが、末岡仁(すえおか ひとし)である。父である前任の熙章(ひろあき)氏の跡を継ぎ、2016年4月に42歳という若さで就任した末岡は、理事長というポジションについて「100年前の創立者に雇われているようなもの」と評する。

 「市邨先生の教えは、一貫して『人』にあります。その精神にのっとって人を育てていくことこそ、当学園の存在意義なのだと肝に銘じています」

 自身の役割をこのように語る末岡だが、実は就任までの間に多くの”まわり道”を経験していた。

 

家業を意識しなかった学生が教育界にたどり着くまで

 末岡は1974年に、市邨学園の理事長を代々務める家系に生まれる。小学校一年生の頃に祖父が亡くなると、理事長の座は父に引き継がれた。

 教育界の“エリート家系”に生まれ育った末岡だったが、「将来は家業を継ぐのだろうな」という意識をどこかで思っていながらも、家業を意識した進路は選ばなかった。地元・名古屋市内の私立・中高一貫校を卒業したあとは、名古屋大学工学部機械工学科に進学。同学科には、高校の教員資格を取得するカリキュラムはなかった。

 学生生活は長期の海外旅行に行くなど、自由な時間を過ごした。しかし、同じ学科の学生たちが技術者として日本を代表するメーカーへと入社していく姿を見るうちに、自分だけ置き去りにされている感覚を感じる。自分はどの道に進んでいけば良いか悩んでいるうちに時間は過ぎ、卒業には6年かかってしまった。

 そんな折、同大学の情報文化学部に、人間情報学研究科(現在は情報学研究科)という課程があることを知る。工学だけではなく、より広く学びたいと考えた末岡は、同科に進むことを決心。複数の学問領域にまたがる修士過程(学術)を修めた。

 これが結果的に、末岡の教育者としての道を開くことになる。卒業後は、市邨学園短期大学(現在の名古屋経済短大)の教員となり、人間情報学研究科での経験が活かし、商業、経済、会計などを学ぶ商経科を主に受け持つこととなった。

 末岡が同短大で行った講義は、ワードやエクセル等を使った実践的なものが中心だった。そのため卒業生からは、就職してすぐに役立ったといった感謝の言葉が寄せられることも多かった。

「世間では短大という存在が徐々に取り残され始めた時期で、この業界の多くの人々もまた危機感を抱きながら、どうやって生き残るべきか悩んでいました。私自身、今でも結論は出ていませんが、社会の変化に対していかに教育がついていくかというのは永遠の課題だと思います」

 

ボランティアは自分のためにするものである

 末岡にとって大きな転機となったのが、… 続きを読む

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末岡 仁(すえおか ひとし)
1974年生まれ。1998年に名古屋大学機械工学科卒業後、2000年、名古屋大学大学院人間情報学研究科修士課程修了。同年、市邨学園短期大学講師に就任。2012年に名古屋青年会議所の理事長、2013年には日本青年会議所の理事に就任。2015年4月、名古屋経済大学准教授となり、2016年4月、学校法人市邨学園理事長に就任。現在に至る。

学校法人市邨学園について
■ 事業内容学校教育/大学・大学院、短期大学、高等学校、中学校及び幼稚園の設置
■ 設立年月1907年4月設立、1951年学校法人化
■ 本社所在地愛知県名古屋市瑞穂区高田町三丁目28番地の1
■ 資本金306億円
■ 従業員数560名
■ 業種教育関連(学校教育)
■ ホームページhttp://www.nagoya-ku.ac.jp/~gakuen/

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