電気自動車の台頭や、自動運転の進化など、技術革新の話題で持ちきりの自動車業界だが、自動車にとって「足」であるタイヤもまた、この20年ほどの間に劇的な進化を遂げている。

 タイヤはあらゆる自動車の部品の中で唯一地面に接しており、前に進む力を地面に伝えるとともに、雨が降ろうとも雪が積もろうとも、車を安全に止めるという極めて重要な使命を持つ。その役割自体は、車の誕生以来代わりはないが、性能は日に日に進化している。たとえば近年登場している「エコタイヤ(低燃費タイヤ)」は、走行中にタイヤが損失するエネルギー(転がり抵抗)を抑え、燃費を従来よりも向上させる性質を持っている。

 その進化したタイヤを作る企業のひとつが、世界的なタイヤメーカー「ミシュラン」である。1964年に日本市場に進出して以来、乗用車やバス・トラックから、バイク、重機、飛行機用に至るまで、あらゆる用途のタイヤを提供している。エコタイヤを1992年に日本に初めて導入したのもの同社だ。

 同社は現在、「MICHELIN Total Performance(ミシュラン トータル パフォーマンス)」を掲げてタイヤを製造している。これは省燃費性だけでなく、耐久性や快適性など、タイヤに求められるすべての性能を水準以上のパフォーマンスで備え、かつ、それぞれが調和するタイヤ作りを行うというミシュランのポリシーだ。ミシュランの日本法人である日本ミシュランタイヤの代表取締役社長、フランス出身のポール・ペリニオも、同社のタイヤの進化について「見た目は同じでも、20年前とはまったく別物」と話す。

 そんな彼は、日本のタイヤ市場について「ミシュランにとって特別な存在」と語る。なぜ世界を股にかける企業は、日本を重要視しているのか。日本で長い間タイヤづくりに関わってきたペリニオの歩みを振り返りながら、その理由に迫る。

 

16歳で欧州一人旅。なぜ日本で就職したのか

 ペリニオは1971年、パリの南東部の都市クレテイユで生まれた。母親がイギリス人、父親がフランス人で双方の国籍を有し、数年ごとに両国を行き来しながら育った。そうしたこともあって子供の頃から旅行が好きで、16歳の頃には既にヨーロッパ中を一人で旅していた。

 「色々なところを旅して、その国の文化に触れてみたいという思いが強かったですね。そしてその思いは今も変わりません」

 フランスのビジネススクールでは金融を専攻。1993年に卒業するが、その次の進路のテーマに選んだのが、当時、世界の経済を圧倒的な力でリードしていた日本だった。フランス レンヌ第一大学日仏経営大学院に進学したペリニオは、専攻領域に日本とマーケティングを選んだ。

 勉強を続ける中、ペリニオは日本のビジネスだけでなく、日本語や日本文化をより知りたいと思うようになっていた。

 「日本の歴史や文化に憧れがありました。およそ四半世紀経った今でも関心は薄れないので、正しい選択でしたね」

 その後、大学院のインターシッププログラムを利用して来日。大手電機メーカーにて勤務する。初めて踏んだ日本の地であったが、ペリニオがこれまで学んできたイメージのとおりだったため、特に苦労することはなかった。

 「仕事はもちろんですが、日常生活の中にも多くの学びがありました。エキサイティングな日々でした」

 外国で働くということの面白さを日々実感するようになっていったペリニオは、短期間のインターンシップを終え、やがてフランスに帰国する。

 「もっと日本で働きたい」

 帰国後もそう思い続けていたペリニオは、… 続きを読む

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ポール・ペリニオ
1971年、フランス クレテイユ市に生まれる。1993年にフランスのビジネススクールを卒業後、翌年にフランス レンヌ第一大学日仏経営大学院 ディプロマを取得。日本の大手電機メーカーでのインターンシップ勤務を経て、1995年に日本ミシュランタイヤ株式会社に入社。英国やアイルランド、フランスなど世界各国のビジネスを担った後の2012年、ベネルクスミシュランの代表取締役社長に就任。2015年、日本ミシュランタイヤ代表取締役社長に就任後は、一貫して日本市場を担っている。

日本ミシュランタイヤ株式会社について
■ 事業内容ミシュラン、BFグッドリッチブランドタイヤの研究・開発、テスト市販、販売、マーケティング、サービス
■ 設立年月1975年7月
■ 本社所在地東京都新宿区西新宿3丁目7番1号 新宿パークタワー13階
■ 資本金1億円
■ 従業員数約600名
■ 業種自動車産業
■ ホームページ

http://www.michelin.co.jp/

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