球団買収からわずか5シーズンで年間約30億円の赤字を解消し、2017年シーズンはシーズンシート全席完売の他、前半戦終了時には座席稼働率95.2%、観客動員数約105万人(共に主催試合38試合時点)という記録的な結果を出す人気球団に生まれ変わった横浜DeNAベイスターズ。2016年10月、代表取締役社長に就任した異色の経歴を持つ岡村信悟は、横浜に新たな風を吹かせるべく動き出す。

 

歴史学者の夢破れ、大嫌いだった役人の道へ

 東京生まれだが、父親の仕事の関係で小学校1年までミカン畑に囲まれた神奈川県南足柄市で過ごす。本が大好きで、母親と一緒に市立図書館まで山道を歩いた記憶が今も残る。幼少期から歴史と物語を好み、中学の頃には日本史の学者になりたいと考えた。ところが、1989年に起きた天安門事件に感化され、今、中国を学ばなくてどうすると昂ぶる気持ちを抑えきれず、進学した東京大学文学部では日本史ではなく中国史を専攻する。

 「唐末五代の少数民族を研究していたのですが、共感できる仲間が乏しく、タコツボ化した学問の世界で一生やっていくことに疑問を感じていました。僕は結構おしゃべりなので一人でコツコツではなく、みんなでコミュニケーションを取りながらやりたかったのです。しかし、今さら就職しようにもバブル崩壊後の就職難で民間企業は相手にしてくれません。仕方なく、中国では詩人や学者が科挙を受けて役人になっていると自分を納得させ、公務員試験を受け、郵政省に転がりこみました。でも、本当は役人なんて大嫌いだったんです。だいたい文学部に入るような学生は、反体制とまではいいませんが、法学部や経済学部のように何の疑問も持たず役人になるなんてありえないっていうタイプが集まっていましたから」

 

7年越しのラブコールに応え、ディー・エヌ・エーへ

 1995年に入省した郵政省(現総務省)では、インターネットや携帯電話の普及など、情報通信政策に従事。九州・沖縄サミットに向けて、ITを活用して沖縄に新たな産業を創出する取り組みを切り盛りし、一年間で16回沖縄に赴いた。その後、大阪府箕面市に出向、郵政省出身者として初めて市役所の政策企画部長に就く。

 「箕面で過ごした2年半の経験は大きかったですね。開発から福祉、教育、人事、議会答弁まで幅広い業務に携わり、鍛えられました。このとき地方自治に関わった経験は、今の仕事にも活きていると思います」

 総務省に戻り地域通信振興課の課長補佐として業務を推進、さらに第一次安倍内閣で世耕総理補佐官付きとなり、郵政省出身職員として初めて首相官邸での仕事に就いた。順当にエリートコースを歩んでいた人生は、ある人物との出会いで新たな局面を迎える。課長補佐として臨んだ、子どものインターネット利用に関する規制改革の議論の場で、ディー・エヌ・エーの創業者であり、現取締役会長兼横浜DeNAベイスターズのオーナーを務める南場智子と出会ったのだ。

 新興ネット企業への風当たりが強い中、規制ありきではなく民間による自主的取り組みと青少年のリテラシー向上を重視するべきという方向で議論をまとめた岡村の手腕に、南場は惚れ込み、ことあるごとに「DeNAへ来ないか」と誘いをかけた。しかし、霞が関の仕事にやりがいを感じていた岡村は、その誘いを丁寧に断った。しかし、南場は諦めず、友人として家族ぐるみの付き合いを重ねながら、ときにさりげなく転職を勧めてきた。

 そんな状態が5年ほど続いたある日、岡村は… 続きを読む

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岡村 信悟(おかむら しんご)

1970年、東京出身。1995年に郵政省(現総務省)へ入省、情報通信政策を中心に地方振興策にも携わり、2006年に総理大臣官邸で世耕総理大臣補佐官付き参事官補佐、2010年には総務省大臣官房企画課課長補佐、2012年に日本ケーブルテレビ連盟審議役、2014年情報通信政策局郵政行政部企画課企画官(国際協力担当)を歴任。2016年4月にディー・エヌ・エーに入社、横浜スタジアム代表取締役社長に就任。同10月より横浜DeNAベイスターズの代表取締役社長を兼務

株式会社横浜DeNAベイスターズについて
■ 事業内容試合興行、地域振興等、プロ野球球団横浜DeNAベイスターズの運営全般
■ 設立年月1949年11月22日
■ 本社所在地横浜市中区尾上町1丁目8番地 関内新井ビル7階
■ ホームページ

http://www.baystars.co.jp/

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