2015.11.17 Tue

“デザインの可能性を信じて”社長に就いたリーダーの思い

株式会社丹青社 代表取締役社長 青田 嘉光 氏

 「渋谷ヒカリエ ShinQs Switch Room」や「JPタワー学術文化総合ミュージアム・インターメディアテク」など、誰もが知る多くの施設の空間づくりに携わっているのが株式会社丹青社だ。

 同社は1959年の設立以来、内装・ディスプレイのリーディングカンパニーとして、百貨店などの商業施設から、博物館・美術館などの文化施設まで、幅広い分野の企画・デザイン・施工を通じて、人の行き交う空間づくりの課題解決を行ってきた。

 具体的な実績を見ると、国立科学博物館、横浜赤レンガ倉庫2号館、宇宙ミュージアムTeNQ(テンキュー)、サンシャインシティの専門店街アルパ、スパリゾートハワイアンズの流れるアクアリウムプール、京王プラザホテルなど、錚々たる施設ばかりである。

 空間づくりのプロフェッショナルとして、“こころを動かす空間”をつくり続ける同社を率いるのが、代表取締役社長の青田嘉光である。

 

相撲部のエースが美術大学を志し上京

 青田は、終戦から2年目の1947年に長崎で生まれた。戦地から復員してきた父親は出征前、大手の生命保険会社に勤めており、戦後しばらくして職場に復帰。転勤が多かったので、青田は小学校時代、何度も転校を繰り返した。

「今は単身赴任が普通ですけど、当時は親父が転勤の度に一族郎党で大移動です。福岡や宮崎、熊本、奈良や岡山などを転々としました。明るい性格だったので、転校してもすぐに新しい学校に馴染んで、友達はたくさんできました」

 両親は、学業含めて今後の将来を考え、中学になった青田を長崎の祖父母の家に預けた。すると、学業は両親の期待通り安定。さらに中学で入部した相撲部でも大活躍。全国中学校相撲選手権長崎県大会で3位に入賞するなど、めきめき実力を発揮した。

 高校は長崎でも有数の進学校に入学。運動系のクラブ活動から一転、美術部と写真部に入部した。ところが高校3年で肋膜(ろくまく)炎を発症し、1年間の入院生活を送ることになってしまった。… 続きを読む

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青田 嘉光(アオタ ヨシミツ)
1947年、長崎県生まれ。1971年武蔵野美術大学を卒業後、株式会社丹青社に入社し、商業施設や文化施設の空間づくりに携わる。1997年取締役、2003年常務取締役、2006年取締役専務などを歴任し、2010年代表取締役社長に就任、現在に至る。

株式会社丹青社について
■ 事業内容商業空間・パブリック空間・ホスピタリティ空間・文化空間・ビジネス空間・イベント空間の調査・企画、デザイン・設計、制作・施工、運営
■ 設立年月1959年12月25日
■ 本社所在地東京都港区港南1丁目2番70号 品川シーズンテラス19F
■ 資本金40億2,675万657円(2015年1月31日現在)
■ 従業員数1,118名【連結】/804名【単体】 (2015年1月31日現在)
■ 業種サービス業
■ ホームページ

http://www.tanseisha.co.jp/

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