冨田 智夫(トミタ トモオ)
1964年、大阪府生まれ。1987年4月、繊維と化学品の専門商社、蝶理株式会社に入社。1992年6月兼松株式会社に入社し、スポーツアパレルの分野に携わる。その後2007年8月、株式会社ニューバランスジャパンに入社、営業本部副本部長に就任。営業本部長、常務取締役などを経て、2012年12月代表取締役社長に就任、現在に至る。
1906年に“マラソンの街”とも称されるアメリカ・ボストンで誕生したのが、「N」の文字をあしらったデザインのシューズが特徴的なニューバランスだ。
スポーツブランドとして100年以上の歴史を有する同社は、とりわけランニングシューズの世界で圧倒的なブランド力を誇る。現在同社は、世界1位のナイキ、2位のアディダスに続く世界トップ3のグローバルスポーツブランドを目標に掲げており、2014年にテニス用品、2015年にはサッカー用品市場に進出するなど、精力的にカテゴリーを拡大している。
そんなニューバランスの日本法人であるニューバランスジャパンもまた、グローバルと連携した市場戦略へと舵を切りつつある。2013年1月には、日本オリンピック委員会とのオフィシャルパートナーシップ契約を結び、公式スポーツプロダクトパートナーとしての活動を開始。2020年の東京オリンピック開催に向けて、日本のスポーツ文化の活性化にも尽力している。
グローバルと日本、そしてスポーツとファッション、シューズとアパレルと、各切り口で2本の軸足を持つ強みを活かした戦略を展開する同社を率いるのが、代表取締役社長の冨田智夫である。
サッカー少年からサーフィン青年に
1964年、大阪府内で生まれた冨田は、小学生から高槻市のサッカー少年団に所属し、日々練習に明け暮れるスポーツ少年だった。国内でもサッカーが盛んな地域なだけに、周囲のレベルも高く、当然ながら指導は厳しかったものの、とにかくサッカーが楽しくて仕方なかったという。
進学先の京都府内の高校でも当然のようにサッカー部に所属。しかし大学では突如方向転換し、ウィンドサーフィンに夢中になる。社会人となっても30歳目前まで、真冬でもウェットスーツを来て海に乗り出すほどの熱心さだった。
商社志望で世界を股にかけてビジネスを行うことを夢見ていた冨田は、1987年に繊維と化学品の専門商社、蝶理に入社。繊維部門でナイロンやアクリル、ポリエステル、綿、ウールなど、原料を取り扱う仕事に約4年間携わった。
「衣類やシューズに欠かせない繊維原料について、社会人のスタート時にしっかり学ぶことができたのは、その後に大いに役立ちました」
国内の産地が縮小しつつあった原料よりも、より消費者に近い製品を取り扱う仕事がしたいと考えた冨田は、1992年に総合商社の兼松江商(現・兼松)へと転職。繊維部門でスポーツアパレルを中心に取り扱うチームへと配属される。ここで冨田は、念願だった海外でのビジネスで思う存分手腕を発揮。一年の約半分は海外出張という慌ただしい日々を過ごした。
冨田の赴く先は、仕事の内容によって大きく2つの地域に分かれた。… 続きを読む
冨田 智夫(トミタ トモオ)
1964年、大阪府生まれ。1987年4月、繊維と化学品の専門商社、蝶理株式会社に入社。1992年6月兼松株式会社に入社し、スポーツアパレルの分野に携わる。その後2007年8月、株式会社ニューバランスジャパンに入社、営業本部副本部長に就任。営業本部長、常務取締役などを経て、2012年12月代表取締役社長に就任、現在に至る。
株式会社ニューバランス ジャパンについて | |
■ 事業内容 | 運動靴、靴、アパレル商品の企画・製造・販売 |
■ 設立年月 | 1988年12月15日 |
■ 本社所在地 | 東京都中央区明石町6番4号 ニチレイ明石町ビル |
■ 資本金 | 1億7,800万円 |
■ 従業員数 | 150名 (2013年1月1日現在) |
■ ホームページ |
カテゴリランキング
カテゴリランキング