2013.02.27 Wed

世界を制したリーダーの組織マネジメント(前編)

サッカー指導者 佐々木 則夫 氏

サッカー指導者 佐々木 則夫

選手たちに決めさせた「チャンピオン」への道

 わずか2年前、佐々木則夫の名を知る日本人がどれだけいただろうか。時を経て、サッカー女子ワールドカップとロンドンオリンピックで見事な成績をおさめ、いまやチームは国民栄誉賞を受賞。佐々木は「国民的指導者」として広く知られるようになった。

 世界のトップ集団ではなかったなでしこジャパンを優勝へと導いた手腕と、テレビ画面を通してでも伝わってくる愛すべき人柄から、「理想のリーダー」として度々取り上げられる佐々木。ひとクセもふたクセもある個性派軍団・なでしこジャパンをどのような手腕でまとめあげたのだろうか。

 「チームをまとめようとしたときに、まず目標を設定するわけです。カリスマ然として、ああしろこうしろと指示するのではなく、僕がビジョンの方向性を示してチーム全体で共有する。なでしこジャパンの場合、選手たちが意見を交わして目標を設定しました」

サッカー指導者 佐々木 則夫 トップダウンによる意思決定では、大きな目標は達成できないと佐々木は語る。それは選手を信じているからこそできる決断だ。

 「僕が全体の目標を投げかけたのはこれまでの5年間で2回あって、最初は2008年の北京オリンピックのとき。我々の目標は『ベスト4』でした。選手が決めるといっても丸投げするということではなくて、いくつかヒントを投げかけていく必要があります。『君たち選手の実力と、僕が持っている手腕を分析すればベスト4くらいはいけるよ』と。北京は僕にとって初めてのオリンピックで、選手はその前のアテネオリンピックも経験していたので、『ノリさん、そんなにオリンピックは甘くないよ』と怒られちゃいましたけど(笑)」

 佐々木監督以下、チームが一丸となって邁進した結果、なでしこジャパンは世界大会で初のベスト4進出を果たす。惜しくもメダルに手は届かなかったが、見事に掲げた目標を達成することができた。

 「メダルを獲った3チーム(アメリカ、ブラジル、ドイツ)の監督に、どんな目標でオリンピックに臨んだか聞いたら、3チームとも答えは同じでした。『もちろん、金メダルだ』と。その結果、金メダルを目指したチームはメダルを獲れて、ベスト4を目指したチームが4位になった。そのときに、あわよくばメダルを獲ろうなんて甘い考えだと痛感しました」

 高い目標が、高い成果を生む――。ライバルたちの高い志を知ったなでしこジャパンは、次回2012年ロンドンオリンピックの目標を上方修正することになる。

 「北京オリンピックでの反省を踏まえて、選手たちに次の目標を決めさせたんです。メダルを獲った3チームが、どういう目標を設定していたかも選手たちに伝えました。そこで『チャンピオンになる』という目標に辿り着いたわけです。最終的な目標は選手に決めさせますが、1年後にはこれくらいのレベルになっていよう、といった中期的な目標も必要になってきます。そこは監督である僕の仕事です」

 「チャンピオン」を志した3年後の2011年。なでしこジャパンは女子ワールドカップで見事優勝をはたし、日本中に勇気と感動を与えてくれた。スポーツに“たられば”は御法度だが、もし監督が目標を押し付けていたら、チームの世界一は叶わなかったかもしれない。

 

「成功」の反対は「チャレンジしない」こと

 組織として目標は定めた。では、一流選手を選抜する代表チームにおいて、実際にどのように選手の心を掌握していったのだろうか。

 「チームを動かす要素はいくつかあります。まず、人間、得をしないとなかなか動かない。… 続きを読む

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佐々木 則夫(ササキ ノリオ)
1958年、山形県生まれ。帝京高校、明治大学を卒業後、日本電信電話公社に入社し、NTT関東サッカー部(現大宮アルディージャ)でプレー。現役引退後は指導者の道に進む。なでしこジャパンではコーチを経て、2008年1月より監督に就任。2011年女子W杯で優勝、2012年ロンドンオリンピックでは銀メダルに導く。アジア人初となる2011年度FIFA女子年間最優秀監督賞を受賞。

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