静岡県浜松市に本拠を構えるエンケイ株式会社は、自動車やオートバイのアルミホイールを製造・販売する企業だ。同社のホイールはF1、スーパーGT、ダカール・ラリーなどのカーレースにも使われており、世界でトップクラスのシェアを占めている。
同社の基幹工場である豊岡工場は、浜松から天竜川を挟んだ対岸の磐田市にある。同工場は、一瞬公園かと見間違えるような緑あふれるつくりになっており、その中をウサギが自由に走り回り、果物や野菜の栽培も行われている。
なぜエンケイはこのような緑いっぱいの工場を作ったのか。その秘密を探るべく豊岡工場を訪れた。
本田宗一郎との出会いが変えたもの
エンケイは、浜松の小さな店からはじまった。
創業者の鈴木健次は、第二次世界大戦中に飛行機メーカーで鋳物技師を務めた経歴を活かし、終戦後は浜松で湯たんぽなどの生活用品を製造、販売していた。その湯たんぽに目をつけたのがホンダ(本田技研工業)の創業者・本田宗一郎だった。
当時、本田は浜松でバイクの生産を計画しており、燃料タンクとして鈴木の湯たんぽに目をつけた。商談自体は実現しなかったが、このことが縁となり、エンケイはホンダのバイクのシリンダーを受注、事業を自動車・二輪車業界に注力していくようになる。
2度目の転機が訪れたのは、1960年代中頃のことだ。アメリカの企業から「アルミの鋳造技術を使って自動車用のホイールを作れないか」という依頼を受け、日本で初めてアルミホイールの開発に成功した。1967年には生産を開始し、アメリカへの輸出を行っている。
この経験を活かして、1970年には国内アフターマーケット用(カー用品店向け)のアルミホイールの生産を開始。武骨なスチール製のホイールが主流だった日本市場に、装飾性が高く、安全性に優れたエンケイのアルミホイールの登場は、大きなインパクトを与えた。既成の自動車を、ユーザーが自分好みに合わせてカスタムする「オートパーツ文化」は、ちょうどこのあたりから花開いていった。
さらに1972年には、国内自動車メーカーのOEM供給を開始。エンケイのアルミホイール事業は一気に拡大し、現在は、アフターマーケット用製品とOEM供給という、世界でも珍しい二刀流で事業を展開している。
モータースポーツのノウハウが詰まったホイール
1970年代からは、モータースポーツへのホイール供給にも力を入れるようになった。
1974年、エンケイはオーストラリアで開催されているカーレース「サザンクロスラリー」へホイール供給を開始。1983年には、欧州F2のミナルディにも供給し、1986年には日本メーカーとしては初となるF1グランプリでのホイール供給を実現している。
一聴するとトントン拍子で進んだようにも聞こえるが、華々しい世界の裏側で、苦労もあったという。… 続きを読む
エンケイ株式会社について | |
■ 事業内容 | アルミ鋳造技術を利用した製造販売、各種金型・機械等の製造販売、アルミニウム原材料の製造、アルミホイール・アクセサリー・自動車部品の販売、アルミホイールの輸入業務、各種物販等 |
■ 設立年月 | 昭和25(1950)年10月5日 |
■ 本社所在地 | 静岡県浜松市中区板屋町111-2 アクトタワー26F |
■ 従業員数 | 8,810名(国内1,429名・海外7,381名) ※ 2019年現在 |
■ ホームページ |
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