世界史から学ぶ国際情勢(第18回)

なぜアフリカでは戦争と飢餓がなくならないのか?

2015.08.19 Wed連載バックナンバー

 1983~85年、内戦に苦しむエチオピアやエリトリアの人々を大干ばつが襲い、約40万人が飢饉にみまわれた。これに対しイギリスとアイルランドのロックスターが集結して1984年にチャリティープロジェクト「バンド・エイド」を結成。リリースされた “Do They Know It’s Christmas?” は世界で600万枚を超える大ヒットを記録した。

 あれから30年を経た2014年12月、エボラ出血熱に苦しむ西アフリカの人々を援助するために「バンド・エイド30」が再結成された。

 多くの人にとって1980年代からアフリカは戦争と貧困の大陸で、そのイメージはいまでもほとんど変わっていない。なぜアフリカから戦争や貧困がなくならないのか、世界史の視点からその理由を探ってみたい。

 

切り分けられたアフリカ大陸

 アフリカには19世紀まで「国境」という概念はなかった。誰の土地か決まっていたのは町とその周辺だけで、町と町の間の土地が誰のものであるか気にする者などいなかった。

 大航海時代に入って欧米諸国はアフリカと金や象牙や奴隷などを売買する貿易をはじめた。といっても港に乗り入れるだけで、大陸の内部に入って資源や奴隷を集めるのは黒人やアラブ人の仕事だった。

 ところが産業革命が進んで資本が発達すると、資源を供給し、農園や工場となり、マーケットを生む「土地」は何より重要なものとなった。そして国家は強力な軍を調えて植民地獲得競争を開始した。いわゆる帝国主義だ。19世紀後半からアフリカもその標的となった。

 ベルギー国王レオポルド2世は探検家スタンリーにコンゴ川流域を調査させ、その領有を宣言した。イギリスやフランスはこれに反発し、ドイツのビスマルクの調停で1884~85年にベルリン会議を開催。最初に占領した国が領有権を持つという先占権が取り決められると、列強はわれ先にとアフリカに殺到した。

 ベルギーはコンゴを植民地化し、エジプトと南アフリカを押さえたイギリスは両国を結ぶアフリカ縦断政策を断行。西アフリカに勢力を広げたフランスは東に進んでアフリカ横断政策を進め、イタリアはリビアやソマリランド、ドイツはタンザニアやトーゴを植民地化した。

 こうしてアフリカ大陸はエチオピア帝国とリベリア共和国の2か国を除いて帝国列強の手に落ちた。

 

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長谷川 大

長谷川 大

世界遺産&旅行ライター

横浜国立大学卒業後、出版社勤務。三国志・戦国時代・幕末・ギリシア神話など、歴史ものを中心に編集・ライティングを行う。世界一周の旅を経てフリーの編集者・ライターとして活動中。これまでの訪問国数は68か国、世界遺産は182か所。All About「世界遺産」公式ガイド。http://allabout.co.jp/gm/gt/563/

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