桜子が聞く!先駆者たちのワーク・ライフ・バランス(第16回)

車椅子で通勤する経営者、若鍋孝司の仕事術

2017.01.12 Thu連載バックナンバー

 高校時代に車椅子生活を強いられ、一度は全てを諦めた少年が、経営者として教育事業に従事している。渋谷区にあるインターナショナル・プリスクール/アフタースクール「RISE Japan」(ライズジャパン)の代表取締役社長、若鍋孝司(41)がその人だ。

 大学卒業後、食品会社の人事部配属を機に、若鍋は人材育成の分野に興味を覚え、30歳で若手社員のための組織・人材開発支援会社を起業した。そして40歳目前で、次は子供の教育をやりたい、と同社を興した。

 去年の春に一度、代官山で彼を見かけたとき、車椅子であることに驚いた。取材するまで一時的に使っているのかと思っていた。若鍋はどんな道程を歩んできたのか。

 

歩けないって死にぞこないじゃん!

 清爽な青いシャツで現れた若鍋は、控えめな印象ながら、芯の強さを感じる顔立ちだ。私は車椅子の話に触れていいか尋ねた。

「どうぞ、どうぞ」

 若鍋は明るく応え、歩けなくなった当時の心境を赤裸々に語った。

「障害者って、バカだと思っていたんです。歩けないって死にぞこないじゃん!社会から認められないし、普通のことが出来ない。だから、(歩けなくなったら将来は)お金を稼ぐどころじゃないや、と絶望感でいっぱいでした」

 今でも、外に出れば子供たちが自分を指す。バスに乗れば皆が自分を凝視する。駅に居れば構内アナウンスが鳴り響く。若鍋は低い声で、その様子を真似た。

「『えー、介助者がいます。介助者~、5号車です』って、流れるの。恥ずかしいですよ。なんで、そんなに僕に注目するの?なぜ別人扱い?ものすごい屈辱です」

 若鍋は車椅子になって25年経つのに、この状況に今でも慣れない。彼が幼い頃に描いた未来は、今の自分の姿ではなかった。それでも「社長になりたい、裕福になりたい」という夢は叶えていた。

 

子供の頃の思い出は「すごい貧乏」

 若鍋は幼少期、よくおからやパンの耳を貰いにひとりで出かけた。母親とスーパーに行く時はいつも閉店間際のセール品を狙った。そのため、若鍋は照れくさそうに告白した。

「後でばれちゃうので言いますが(笑)、小学1年で、ともかくお金を稼ぎたい!と思っていました」

 そして中学になると「早く頭がよくなりたい」と優良企業の就職を目指し、県立の進学校に進んだ。そんな彼が2年後、バイクで車に衝突した。全ての夢が吹っ飛び、頭の中が真っ白になった。

桜子「あれ…。バイクはどうやって手にしました?」… 続きを読む

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桜子

桜子

ライター

渋谷区在住。通信会社に勤務する傍ら、働く女子の立場からWebメディアのメルマガを書き始め、IT業界の著名人にインタビューを重ねて話題となる。その後、日経ウーマンやアスキー等での連載を経て、2011年、出産を機に育児に専念。2014年4月に職場復帰し、子育てと仕事の心地良いバランスを模索中。(VIVA!桜子の超気まま渋谷/代官山・子育て日記:http://sakurako.cc/friends)

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