プロ野球の名指導者から学ぶ、部下の指導法(第4回)

落合監督の名参謀・森繁和に学ぶナンバー2の心得

2015.06.29 Mon連載バックナンバー

 「プロ野球の名指導者から学ぶ、部下の指導法」の第3回では、横浜ベイスターズ(現、横浜DeNAベイスターズ)の主力として活躍し、移籍した広島東洋カープで指導者としての道を歩み始めた石井琢朗を取り上げた。石井は広島での現役生活が数年あったが、中には在籍したことのないチームに、いきなり指導者として招聘されることも、プロ野球の世界ではよくある。

 かつて西武ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)の守護神として黄金時代を支えた森繁和(もりしげかず)も、現役時代に所属しないチームに指導者として招かれた一人である。

 森は引退翌年(1989年)から西武のコーチとなり、日本ハムファイターズのコーチを経て、2002年に西武時代に指導を受けた森祇晶(もりまさあき)監督に請われて横浜ベイスターズのコーチに就任した。

 しかし、この連載の第1回で紹介した権藤博の奔放野球に慣れた横浜の選手と、管理野球を徹底したい森監督との間に確執が生じ、チームは低迷して森体制は2年で崩壊した。

 順位もほぼ確定し、消化試合をしている森のところへ1本の電話が入る。落合博満からの投手コーチ就任依頼だった。

 

勝利を義務づけられた首脳陣

 電話を受けた時点で、森は落合がどの球団の監督になるのかさえ知らなかったという。数日後に、落合の中日ドラゴンズ監督就任のニュースが流れて、初めて自分が招かれたチームを知った。

 2004年シーズン、落合が招聘したコーチの顔ぶれは、森をはじめ中日に在籍経験のないコーチが多かった。この点については、首脳陣が集結してまもなく落合から話を聞かされる。

 「球団からは“勝つ喜びを教えてほしい。3年以内にリーグ優勝すること”と言われている」

 つまり、落合監督を初めとする首脳陣は勝利、優勝を義務づけられていた、ということになる。これは、ビジネスの世界で言えば、傾きかけた会社の再建を委ねられた経営陣のスタッフに呼ばれたのと同じである。

 プロ野球界は、スポーツ紙をはじめとして情報がかなり露出しているので、ビジネスの世界ほどではないにしても、在籍経験もなく、指導した選手もほとんどいない球団のコーチとなり、優勝を義務づけられるのはかなり厳しいノルマといえる。

 さらに、落合から森は次のような言葉をかけられた。… 続きを読む

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結城 数馬

結城 数馬

フリーライター

歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。共著に『武田勝頼の滅亡は武田信玄の残したリソースを有効活用できなかったことに尽きる』『IT・ベンチャー企業の組織作りは豊臣政権崩壊に学べ』『新約 真田幸村』『信長のおばさん』等(全て、まんがびと刊)がある。

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