プロ野球の名指導者から学ぶ、部下の指導法(第3回)

石井琢朗に学ぶ、新天地で成功するために大切なこと

2015.06.09 Tue連載バックナンバー

 「プロ野球の名指導者から学ぶ、部下の指導法」の第1回は横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)を日本一に導いた権藤博を、第2回は低迷していた広島東洋カープを優勝に手が届くチームへ変貌させた野村謙二郎について見た。

 今回は、この両者のもとで選手・コーチとして活躍した石井琢朗を取り上げる。

 権藤の下で中心選手として優勝に貢献した石井琢朗は、2009年から20年間在籍した横浜から広島に移籍し野村を支えた。現在も躍進著しい広島の選手を、コーチの立場から指導している。

 東京の家族との離れた生活、大幅な減俸を受け入れてまで移籍した石井が、新天地に求めたもの、そこで見つけたものとは何だったのだろうか。

 

広島への移籍で生まれ始めた変化の兆し

 投手としてプロ野球の世界に入った石井は、3年目のシーズン後、自ら志願して内野手に転向した。がむしゃらな努力と厳しい練習で定位置を獲得、1998年には横浜の優勝・日本一に貢献、4度の盗塁王に輝き、2006年には通算2,000本安打を達成して長くチームの看板選手として活躍した。

 その後、親会社変更に伴う球団の混乱や膝のケガ、若手選手を起用するチーム方針などに伴い、出場回数が減少した。2008年末には引退を勧告されたが、現役続行を望んで横浜を自由契約となり、広島に移籍した。広島での推定年俸は2,000万円。横浜時代の1億円からすれば1/5となる大幅な減俸である。

 石井は早く新チームにとけ込もうと、若い選手たちにも自分から積極的に声をかけた。石井の社交的な性格と、広島というチームのアットホームな雰囲気とが相互作用し、石井は早々に経験豊富なベテラン選手としてチームの中でも特別な位置を獲得することになる。
 若い選手たちが石井に教えを請い、共に練習することを願い出てきたのである。

 石井の心の中に変化が生まれ始める兆しだった。

 

「外様」からチームの精神的支柱へ

 広島に移籍して2年目の2009年、石井に大きな転機が訪れる。… 続きを読む

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結城 数馬

結城 数馬

フリーライター

歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。共著に『武田勝頼の滅亡は武田信玄の残したリソースを有効活用できなかったことに尽きる』『IT・ベンチャー企業の組織作りは豊臣政権崩壊に学べ』『新約 真田幸村』『信長のおばさん』等(全て、まんがびと刊)がある。

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