プロ野球の名指導者から学ぶ、部下の指導法(第1回)

“自主性”がチームを強くする、権藤博の奔放野球

2015.04.22 Wed連載バックナンバー

 現在、部下を持っている人でも、「私は部下を完璧に指導している」と胸を張れる人は決して多くないだろう。部下にも個性があり、得意なことや不得意なことに差がある。指導する側にも個性があるのだから、マニュアル通りの指導法では齟齬が出てくるだろう。

 今回は「プロ野球の名指導者から学ぶ、部下の指導法」として、プロ野球における名監督・名コーチたちがどのように選手を指導してきたのか、その教育法を紹介する。個性も自意識も、サラリーマンとは比べ物にならないプロアスリートたちを相手に、名指導者たちはどのように接してきたのだろうか。

 第1回目は、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の監督就任一年目に日本一に導いた権藤博を取り上げる。チームを38年振りの優勝に導いた裏には、選手たちの自主性に任せて指導する“奔放野球”にあった。

 

「権藤、権藤、雨、権藤」 ~短命だった現役時代~

 1961年に中日ドラゴンズに入団した権藤は、いきなり35勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、新人王、沢村賞など投手部門のタイトルをほぼ独占した。チーム130試合の半数を超える69試合に登板し、「権藤、権藤、雨、権藤」という言葉が流行語になるほどだった。

 2年目も30勝で最多勝のタイトルを獲得、やはりチーム試合数の半数近い61試合に登板している。

 しかし、2年間の酷使によって3年目以降は登板数、勝利数も減り、一時は野手に転向したことすらあった。そして、1969年にわずか9年の短い現役生活を終えている。

 権藤自身は最初の2年間について、「俺はこのくらいでは絶対に潰れない。仮に潰れたとしても投げて潰れるなら本望だと思っていた」と語っている。

 しかし、指導者となった権藤は、自らが歩んだ登板過多による短命の現役生活を選手に課してはならないと固く心に決めていたことは確かである。

 その結果、コーチ時代に何度も監督と衝突することとなった。… 続きを読む

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結城 数馬

結城 数馬

フリーライター

歴史・文学からビジネス、スポーツ等、幅広い分野において執筆を行う。共著に『武田勝頼の滅亡は武田信玄の残したリソースを有効活用できなかったことに尽きる』『IT・ベンチャー企業の組織作りは豊臣政権崩壊に学べ』『新約 真田幸村』『信長のおばさん』等(全て、まんがびと刊)がある。

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