成功者の生き方から学ぶ人生のヒント(第7回)

葛西紀明~レジェンドは早熟の天才ジャンパーだった

2015.02.06 Fri連載バックナンバー

 人生色々と言われるとおり、生まれ持った才能が花開く時期は人それぞれです。若い頃から才能が開花し、あっという間に頂点へと駆け上がる人もいれば、人生の黄昏に差し掛かった頃に最も良い仕事ができる人もいます。

 私たちは人間のタイプを「早熟型」と「大器晩成型」に分けることがよくあります。一般的には早熟の人は天才タイプ、大器晩成の人は努力家タイプであることが多いようですが、早熟の天才肌と思われる人の中には実は大器晩成だったという人もいます。スキーのジャンプ界でレジェンドと称えられる葛西紀明選手は、実は早熟の天才ジャンパーでもありました。

 今回はスタートダッシュ良く社会に飛び出した人が途中で挫折することがあったとしても、それで全てが終わってしまうわけではないということを、葛西選手の例を元にお話ししていきたいと思います。

 

今はカサイが笑っている

 葛西選手は1972年生まれの42歳です。2014年のソチ五輪の個人ラージヒルではジャンプ競技史上最年長の41歳でのメダリストとなり、42歳となった2014-2015年シーズンでは自身の持つ最年長優勝記録を更新するなど、世界のジャンプ界のレジェンドとして活躍しています。ちなみに“レジェンド”の称号は海外メディアから発信されたものです。

 今でこそ大器晩成の象徴とも言える葛西選手ですが、彼は若くして才能を開花させた選手です。高校1年の時に世界選手権の日本代表に選ばれると、1991-92年のシーズンには弱冠19歳9か月でワールドカップ初優勝を飾ります。

 翌年の1992-93年シーズンでは、W杯で3勝を挙げ総合3位という素晴らしい成績でシーズンを終えました。スキーのV字の前に上体をせり出す勇敢な飛行フォームから「カミカゼ葛西」の異名がつき、1994年のリレハンメル五輪では団体銀メダルに貢献しました。

 若い頃の葛西選手は、自身のバイオリズムとオリンピックイヤーが上手く噛み合わなかったことが不運だったと言えるでしょう。W杯で総合3位に入った1992-93年は、アルベールビル五輪(1992年)とリレハンメル五輪(1994年)のちょうど中間年にあたり、W杯で自己最多の年間6勝を挙げ総合3位となった1998-1999年は長野五輪の翌年でした。

 葛西選手は2003-04年のシーズンを最後にW杯の優勝から遠ざかります。そして、彼としのぎを削ってきた国内外のライバルたちが一人また一人と現役を引退したことから、葛西選手もそろそろ引退かなと思われていました。

 2013-2014年シーズンからの華々しい復活劇については皆さんもご存じのとおりです。努力を続けているからと言って全ての選手が復活できるわけではありません。天賦の才能があったからこそ、努力が実を結んだのだと思います。

 海外の某選手は葛西選手について次のようにコメントしています。

「以前は“カサイはまだやっている”とみんなで彼を笑っていた。今はカサイが笑っている」

 

大きな挫折が考え方を変える契機に

 人間は成功を収めると、程度の差はあれ誰もが天狗になってしまうものです。そして早い時期に自分を取り戻せる人もいれば、後々まで過去の栄光を振りかざす人もいます。葛西選手にも天狗になった時期があったことでしょう。何しろ海外メディアが自分のことを「カミカゼ」と呼ぶのですから、舞い上がってしまうのも当然のことです。

 ソチ五輪の後、葛西選手はテレビのバラエティ番組に数多く出演していましたが、ある番組で「これまでに辞めようと思ったことはありますか」と聞かれて、… 続きを読む

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南 武志

南 武志

フリーランサー

広告代理店、PR会社での勤務を経て、広告業界専業のヘッドハンターとして9年間活動。20代から50代までの数多くの転職希望者と本音で語り合った経験を元に、若き組織人への提言をまとめる。

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