成功者の生き方から学ぶ人生のヒント(第4回)

錦織圭~マイケルチャンとの出会いは必然だったのか

2015.01.05 Mon連載バックナンバー

 長い人生においては、自分の才能を開花させてくれる人と出会えることがあります。それが学生時代の恩師や先輩のこともあれば、社会に出た後に仕事の繋がりで出会うこともあるでしょう。中でもスポーツ界は、壁にぶつかっていた選手が、指導者によって才能が開花する例が多く見られる世界です。

 近年では、テニスの錦織圭選手とマイケルチャンコーチが思い浮かびます。煌めく才能がありながらもトップ10の壁をなかなか超えられなかった錦織選手を、彼よりも小柄なチャン氏が開花させたことはその象徴的な例と言えるでしょう。

 今回は、自分を引き上げてくれる人との出会いは偶然ではなく必然だと思えることを、錦織圭選手とマイケルチャン氏との出会いを例にお話ししたいと思います。

 

大きな壁を越えさせてくれたのはチャンコーチ

 日本のスポーツ界を代表するヒーローである錦織圭選手。2014年の5月にトップ10にランクインし、秋には全米オープンで準優勝、ATPファイナルでベスト4という素晴らしい成績を収め、世界ランク5位で2014年を終えました。

 彼の大躍進に欠かせない人物として多くのメディアに取り上げられたのがマイケルチャンコーチです。今や世界のテニス界を代表する師弟コンビですが、私は錦織選手のコーチにチャン氏が就くと報道された時に「最高のコーチと巡り会えた」と思ったものです。テニスファンの多くが私と同じ思いを抱いたのではないでしょうか。

 私が解説するまでもありませんが、錦織選手のプレースタイルはラリーに持ち込んで勝機を見出すというスタイルです。彼のようなプレーヤーは、ワウリンカ選手やラオニッチ選手などの強烈なサービスを武器とする選手との試合では、相手のサービスの調子が良い時には圧倒的に不利な状況になります。

 事実、チャンコーチと出会う以前の錦織選手は、相手のサービスの勢いに圧倒されたまま、自らもミスを重ね実力を出し切れずに敗退するということがしばしば見られました。また小柄な身体に強力なエンジンを搭載することでケガも多くなり、長期休養で一つずつ上げてきたランキングを一気に落とすということが何度もありました。

 そこで出会ったのがマイケルチャン氏です。

 

マイケルチャンは20年前の錦織圭だった

 台湾系米国人であるマイケルチャン氏は、1980年代からのテニスファンなら誰もが知っているビッグネームです。錦織選手よりも低い175cmの小柄ながら、長身選手の強打を機敏な動きで拾いまくり、1989年の全仏オープンでは17歳3ヵ月の若さで優勝しました。そして、世界ランク2位まで上り詰めました。

 1989年の全仏オープン決勝では、1対2とリードされた第4セットで第1ゲームをブレークされながらも、驚異的な粘りで最終セットに持ち込んでの優勝でした。改めて当時の試合を観てみると、絶体絶命のピンチで何度も繰り出されるミラクルショットは、まるで今の錦織選手を観ているようでした。

000634_330 錦織選手とチャン氏との初対面は、2011年11月に行なわれた東日本大震災の復興チャリティマッチでした。この時に行なわれた2人の特別対談では、チャン氏は錦織選手に「背が低いことで有利なことは、素早く動けること、より広い範囲をカバーできることだ」とアドバイスし、お互いの連絡先を交換したと聞きます。

 錦織選手がチャン氏にコーチの依頼をするのは、それから2年後の2013年秋のことです。2011年にチャン氏と顔を合わせていなければ、チャン氏にコーチを依頼することはなかったかもしれません。

 

偉大な選手には自分を理解してくれる指導者がいる

 自分を引き上げてくれる指導者との出会いは、自分から探し求めるだけではありません。向こうから意外な形で訪れる場合もあります。… 続きを読む

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南 武志

南 武志

フリーランサー

広告代理店、PR会社での勤務を経て、広告業界専業のヘッドハンターとして9年間活動。20代から50代までの数多くの転職希望者と本音で語り合った経験を元に、若き組織人への提言をまとめる。

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