成功者の生き方から学ぶ人生のヒント(第3回)

落合博満~回り道があっても球史に残るプレーヤーに

2014.12.15 Mon連載バックナンバー

 世の中にはルートを外れることなく一直線に歩み続ける人がいる一方で、回り道をしながら天職に辿り着く人がいます。マスメディアでは、サラリーマンから農業に転身した人や、30歳を過ぎてから司法試験の勉強を始めて弁護士へと転身した人などの、いわゆる人生の回り道をしてきた人が紹介されることがあります。

 人生の回り道と言えば、球史に残る偉大なプレーヤーである落合博満さんが、大学を中退した後に野球から離れ、故郷の秋田に戻りプロボウラーを目指したことは、プロ野球ファンの間では有名な話しです。

 今回は、落合博満さんを例に挙げながら、人生において回り道をすることは、決して無駄ではないのだということをお話ししたいと思います。

 

2年間の回り道を経て、球史に残る偉大なプレーヤーに

 野球ファンの中には私よりもご存知の方も多いかと思いますが、ここで落合さんの経歴を簡単におさらいしておきましょう。

 秋田県に生まれた落合さんは、秋田工業高校の野球部では退部と復帰を7回繰り返したと言われています。その後、東洋大学に進学しましたが、先輩・後輩の体育会的な体質に納得できなかったことから半年で中退し、故郷の秋田に戻りました。そして、ボウリング場でのアルバイトが契機となってプロボウラーを目指すようになります。

 大学中退からの2年間は野球から離れていた落合さんでしたが、高校時代の恩師の紹介で社会人野球の東芝府中に入社し、再び野球に携わることになりました。そして、社会人野球で頭角を現し1978年のドラフトでロッテから3位指名を受けて入団。プロ野球選手として初めての春季キャンプに参加した時、彼は25歳でした。

 当時の日本のプロ野球界は35歳を過ぎると大ベテランと言われた時代でしたから、25歳でのプロ入りは大変遅いものでした。

 その後の実績は紹介するまでもあれません。現役時代には3度の三冠王に輝き、首位打者、本塁打王、打点王をそれぞれ5回獲得。監督としても8年間で4度のリーグ優勝と5度の日本シリーズ進出を果たしました。そして、2011年に野球殿堂入りしています。

 落合博満と言えば“神主打法”が有名ですが、あの個性的なバッティングフォームは独力で作り上げたものです。

 さて、スポーツマスコミでは落合さんのことを“オレ流”と称していますが、私は落合博満という野球人は日本球界で一番の常識人だと思っています。

 体育会的な体質が合わずに大学を中退したことも、コーチのアドバイスを聞かずに独自で打撃フォームを作り上げたことも、監督時代に「自分のために野球をしなさい」と選手に言ったことも、そして、自分の考えを堂々と口にすることも、米国では当然のことです。

 余談ですが、球界随一の常識人である落合さんを“オレ流”と呼んでしまうところが、日本のマスメディアの問題点だと私は思っています。

 

回り道をしたことで成功への道が閉ざされるわけではない

 落合博満さんの経歴からも気付かされることですが、人生においては“回り道”をしたからといって成功への道が閉ざされるわけではありません。また、回り道をした年月が無駄な時間だったということもありません。なぜなら、回り道をした人は、人の見ていないものを見てきたからです。… 続きを読む

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南 武志

南 武志

フリーランサー

広告代理店、PR会社での勤務を経て、広告業界専業のヘッドハンターとして9年間活動。20代から50代までの数多くの転職希望者と本音で語り合った経験を元に、若き組織人への提言をまとめる。

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