成功者の生き方から学ぶ人生のヒント(第16回)

増田明美~テレビ中継で有名監督に異を唱えた正義感

2015.05.25 Mon連載バックナンバー

 2015年に入ってテレビで大きく取り上げられたスポーツネタのひとつに、世界陸上に派遣される女子マラソンの代表選考があります。代表発表の記者会見でスポーツライターの増田明美さんが立ち上がって選考に異議を唱えたシーンは、スポーツニュースをはじめ多くの番組で取り上げられました。

 陸上競技に詳しいテレビ番組のキャスターからは増田さんに同調する意見も多く、毎回議論を呼ぶマラソンの代表選考に一石を投じた行動でした。今回の件はマスコミの記者からの質問ではなく、かつて日本を代表する長距離ランナーとして活躍した増田さんが、日本陸上競技連盟の幹部がひな壇に座る記者会見の場で異を唱えたことに大きな意義があります。

 日本の組織においては、上の立場の人が間違ったことを述べていてもその場で反論できる人は多くはありません。今回は増田明美さんを例に挙げて、なぜ彼女が権威に対して堂々と声を上げることができるのかを考えていきましょう。

 

現役時代は根性論が残る中での奮闘

 増田明美さんは前回の東京オリンピックが行われた1964年に千葉県に生まれました。中学時代から頭角を表しはじめ、成田高校に進学してからは3,000m、5,000m、10,000mで日本記録を樹立し、日本の女子陸上界のエースとして将来を嘱望されるようになります。

 ちょうどこの頃に、1984年のロサンゼルス・オリンピックから女子マラソンが正式種目となることが決定したこともあって、マスコミの間ではロス五輪の女子マラソンのメダル候補として増田さんが紹介されるようになります。

 今から30年以上前の日本社会は根性論がまだまだ根強く残っていた頃で、スポーツにおいても猛練習によって選手を極限まで追い込むことが美徳とされていた時代でした。このような風潮の中で、真面目な性格の増田さんは猛練習によって体調に異変をきたし、貧血に悩まされ疲労骨折も経験します。

 そして迎えたロサンゼルス五輪のマラソン競技では16km付近で棄権し、マスコミから大きな批判を浴びてしまいます。

 その後、増田さんはアメリカのオレゴン大学に陸上留学しますが、コーチから「良い結果というのは自分が生きていてハッピーだと思った時についてくるものだ」と教わりました。後に増田さんはアメリカ留学で自分の心が解放されたと語っています。

 

マラソン中継で視聴者に好評な“小ネタ”解説

 増田さんは1992年に現役を引退しスポーツライターへと転身します。生来の一途な真面目さもあってか、選手への誠実な取材によって選手たちから多くの情報を得るようになっていきます。増田さんはマラソン中継の解説にもよく起用されますが、綿密な取材で培った選手に関する“小ネタ”はファンから大好評です。

 その増田さんは、2015年に入って一躍脚光を浴びることになりました。8月に北京で行われる世界陸上への女子マラソンの代表選考に対して異議を唱えたのです。… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

連載記事

増田明美~テレビ中継で有名監督に異を唱えた正義感
南 武志

南 武志

フリーランサー

広告代理店、PR会社での勤務を経て、広告業界専業のヘッドハンターとして9年間活動。20代から50代までの数多くの転職希望者と本音で語り合った経験を元に、若き組織人への提言をまとめる。

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter