成功者の生き方から学ぶ人生のヒント(第12回)

原辰徳~稀代の名将の強みはイジラレ役になれること

2015.04.06 Mon連載バックナンバー

 プロ野球・読売ジャイアンツの原辰徳監督は、チームの指揮を執った11年間でリーグ優勝7回、日本一3回という輝かしい実績を残した当代随一の名監督です。

 原監督は、知将と称された森祇晶氏やID野球で知られる野村克也氏などの理論派の監督とは違うタイプに見えますし、かつてセリーグの覇権を争ってきた落合博満氏とも明らかに違うタイプです。ご本人には大変失礼な言い方になりますが、2002年に長嶋茂雄前監督から職務を引き継ぐ時には、ここまでの名監督になると予想した人は少なかったはずです。

 私は、現在の野球界で最高の名将となった原監督の強みは“イジラレ役”になれることだと思っています。今回は私が考える彼の長所を述べながら、そのことがビジネスパーソンにおいても当てはまることをお話ししたいと思います。

 

現役時代は優等生だった原辰徳選手

 原辰徳という名前が世に出たのは東海大相模高校の1年生の時です。夏の甲子園に出場した強豪校の5番バッター・原辰徳くんは、当時の高校球界で屈指の名将と謳われていた原貢氏の息子さんということで大会前から注目されていました。そして大会では準々決勝までの3試合で17打数7安打、打率4割1分2厘と大活躍を見せます。

 ちなみに1年生の時には同じチームに従兄の原雅巳くんがいたことから、原さんは「5番、サード、原辰徳くん」とアナウンスされていました。今でも苗字と同じくらい「タツノリ」という名前が有名なのは、原辰徳くんとして世に出たからでしょう。

 1980年のドラフト会議で巨人の藤田監督が4球団競合の末にクジを引き当て、東海大学の原辰徳選手は球界のスーパースター候補として巨人軍に入団します。そして、入団1年目に新人王、3年目に打点王とMVPを獲得するなど日本球界最高のスター選手として順調に歩んでいきました。

 若い頃から明るく元気で質問にもハキハキと受け答えする原さんは、甘いマスクとも相俟って女性ファンの間でアイドル的な人気を博します。一方で“おぼっちゃま”的な受け答えはマスコミの格好のイジリネタにもなり、チャンスで凡打することが何試合か続くと他球団の4番打者に比べて遥かに厳しい批判に晒されました。

 また、原さんが絶好のチャンスで打席に立つと、相手バッテリーが露骨とも言える内角攻めをするようになりました。顔面付近に来た速球を必死に避けバッターボックスで仰向けに倒れる原さんの姿を見て、テレビの解説席から相手バッテリーに対して真剣に怒ったのは金田正一さんくらいで、「内角が怖い坊ちゃん」というニュアンスで語る人もいました。

 現役時代の原さんには、まだ“イジラレ役”を受け入れるだけの度量は備わっていなかったようで、テレビのインタビューでも「少し打てなくなると、すぐに絶不調と言われてしまう」と少し拗ねたような表情で語ったこともありました。

 

いつの頃からか自分を笑えるようになった原さん

 原さんは現役を退くとNHKサンデースポーツのキャスターに抜擢されましたが、明るく元気な性格から出てくる情熱的なコメントが番組内で浮いてしまうこともあり、そのことが週刊誌や夕刊紙で茶化されるなど、ますます“イジラレ役”になっていきます。… 続きを読む

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南 武志

南 武志

フリーランサー

広告代理店、PR会社での勤務を経て、広告業界専業のヘッドハンターとして9年間活動。20代から50代までの数多くの転職希望者と本音で語り合った経験を元に、若き組織人への提言をまとめる。

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