成功者の生き方から学ぶ人生のヒント(第10回)

斉藤仁さん~ヒールからヒーローへの鍵は不言実行

2015.03.09 Mon連載バックナンバー

 今年の1月20日に54歳の若さでこの世を去った柔道の斉藤仁さん。1984年のロサンゼルス五輪と1988年のソウル五輪の2大会連続で金メダルを獲得した、日本の柔道史にその名を残す名選手でした。

 テレビのニュースで亡くなられたことが報じられた時には、どの番組でもソウルで金メダルを獲得したシーンと、試合後のインタビューでの「この金メダルはみんなのものです」という名セリフが放送されていました。訃報で斉藤さんは日本柔道の大ヒーローとして紹介されていましたが、彼は10代後半から20代前半の頃は山下泰裕さんの敵役でもありました。

 今回は、自分の意思に反してヒール(悪役)の役回りを背負ってしまうことになったとしても、不言実行で努力を続けていけばヒーローへと評価を覆すことができることを、斉藤さんを例に挙げてお話ししたいと思います。

 

日本の柔道史上最高のスターと同時代に生まれた不運

 斉藤仁さんは1961年1月2日に青森県で生を受けました。中学時代から頭角を現し東京の国士舘高校から国士舘大学へと進みます。そして、1983年に世界選手権の無差別級で初優勝を飾り、1984年のロサンゼルス五輪では95kg超級で金メダルを獲得するなど、ファンからは順風満帆に見える選手生活を送ります。

 しかし、斉藤さんには越えられない大きな壁がありました。それは世界の柔道界でも史上最高の選手と評されていた山下泰裕さんです。オリンピック柔道競技の重量級はロサンゼルス大会までは95kg超級とともに無差別級が実施されていましたが、斉藤さんも金メダルを獲得したにもかかわらず、マスコミの注目は無差別級で優勝した山下さんに集中しました。

 また、1984年当時の斉藤さんは、オリンピックの金メダルを獲得しながらも全日本選手権の決勝では2年続けて山下さんに敗れていたことから、「エベレストには登ったのに富士山には登っていない」とマスコミに語っていました。

 当時のマスコミが作り上げたイメージは、スーパーヒーローの山下泰裕に敵役の斉藤仁が挑むという図式でした。現役時代の斉藤さんはカメラの前であまり笑顔を見せなかったこともあって、国民的スターの山下さんの前ではヒール的な扱いをされていたのです。

 斉藤さんが山下さんに最後に挑んだ1985年の全日本選手権の決勝は、日本の柔道史上最高の試合として今に語り継がれています。その大会での引退を公言していた山下さんは全日本8連覇中で、「山下が203連勝で9連覇を達成するか、斉藤が山下の連勝記録を止めるか」が大きな話題となっていました。

 試合は両者ともポイントはなかったものの斉藤さんが勝ったのではないかと思える内容で、判定にもつれ込んだ瞬間に斉藤さんがガッツポーズをして拳を突き上げます。私も当時の試合をテレビ観戦していて「山下が負けた」と思いました。しかし、… 続きを読む

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南 武志

南 武志

フリーランサー

広告代理店、PR会社での勤務を経て、広告業界専業のヘッドハンターとして9年間活動。20代から50代までの数多くの転職希望者と本音で語り合った経験を元に、若き組織人への提言をまとめる。

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