「女武将」から学ぶリーダー像(第4回)

江戸幕府の基礎を築いた“最強の乳母”春日局

2017.08.22 Tue連載バックナンバー

 「三代続けば末代まで続く」という諺があるように、その企業が何代も栄えるかどうかは三代目にかかっているとよくいわれる。260年もの繁栄を続けた徳川幕府も、初代・徳川家康や2代・秀忠の頃は不安要素が山積していた。家康が徳川幕府を開き秀忠へと受け継がれた後、その総仕上げを行ったのが3代将軍・家光だった。

 そしてこの家光を育てあげたのが、家光の乳母として知られる春日局であった。

 

「本能寺の変」でお姫様から一転、謀反人の娘に

 春日局は本名を福といい、元は美濃国の守護代を務める名族・斎藤氏の一族の姫であった。父・斎藤利三(さいとうとしみつ)は、伯父の明智光秀の筆頭家老として丹波黒井城(兵庫県丹波市)を治める城主。天正7(1579)年に生まれた福は「斎藤屋敷のお福様」と呼ばれ、何不自由なく暮らしていた。

 ところがそんな福の運命が、天正10(1582)年の「本能寺の変」で一転する。父の利三は明智軍の主力部隊を率いて本能寺を攻め、主君・織田信長を自害させるが、続く山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れて処刑。4歳の福はお姫様から一転、謀反人の娘になったのだ。

 しかし、福は逆境に負けなかった。母の実家の稲葉家の養女になり、父の妹の嫁ぎ先の土佐・長宗我部家や、母方の親戚の京の公家・三条西家を転々とし、武家や公家の教養を身に着ける。特に三条西家は「古今伝授(こきんでんじゅ)」の秘儀を伝える高い権威を有する名家であった。ここで歌道・書道・香道などの教養を身に着けたことが、後の福の人生を大きく切り開いていく。

 文禄4(1595)年、福は親族で小早川秀秋の家老を務めていた稲葉正成(いなばまさなり)の後妻になり、子宝にも恵まれる。夫は関ヶ原の合戦で小早川秀秋を寝返らせ、徳川方に勝利を導く功労者となるが、その後浪人になり没落する。そこで福は、一族の再興のため自ら立ち上がり、当時の女性にとって最高のステイタス、徳川将軍家の乳母に応募したのだった。

 

名門一族再興のため、徳川家光の乳母に

 慶長9(1604)年、福は26歳で正成と離縁すると(諸説あり詳細は不明だが、離縁後も稲葉家とは繋がりが深かった)、2代将軍徳川秀忠の長男・竹千代(後の家光)の乳母になる。福が選ばれた理由は、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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