「女武将」から学ぶリーダー像(第3回)

死してなお今川家を守り続けた“女戦国大名”寿桂尼

2017.06.26 Mon連載バックナンバー

 NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』は、女性ながら城主として活躍する井伊直虎が主人公だが、その直虎が城主になることを、井伊家の主家である今川家の女性リーダー・寿桂尼(じゅけいに)が認めるシーンが描かれた。

 寿桂尼は大大名の駿河今川家4代を、妻として、母として、祖母として、約50年に渡って支え続けた。ピンチの時には政務まで行い、「女戦国大名」「駿河の尼御台(あまみだい)」と呼ばれた、まさにレジェンドと呼ぶにふさわしい女傑なのだ。

 

武田信玄も真似た法律は、女戦国大名が作った?

 寿桂尼は、元々は名門の公家(藤原北家勧修寺流中御門家)のお姫様だった。父は歌人としても名高い権大納言・中御門9代信胤(のぶたね)。寿桂尼という名は夫の死後、出家してから名乗った法名で、本名や生年はわかっていない。

 永正5(1508)年、寿桂尼は今川家第7代・今川氏親(うじちか)に嫁いだ。今川家も足利将軍家御一門という名門だが、寿桂尼を正室に迎えたことで、幕府のみならず朝廷との繋がりも盤石なものとなった。

 結婚から10年、今川氏親と寿桂尼の間には4人の息子と3人の娘がいた。しかしこの頃、氏親は「中風」(脳卒中などの後遺症)を患う。この時、夫を支え、政務まで行ったのが寿桂尼だった。

 氏親が亡くなる少し前、今川家は独自の法律『今川仮名目録』を制定した。これは今川家が室町幕府のルールではなく、今川家独自のルールで領内を治めるということで、幕府から独立て「戦国大名」になる、ということを意味していた。

 この今川仮名目録、重い病気を患っていた氏親が作成したとは考えにくく、寿桂尼が深く関与したのではないかといわれている。このように大名が独自に制定した法律を「分国法」というが、後に武田信玄も「今川仮名目録」を手本に、武田家の分国法を制定したといわれている。

 氏親がこの世を去り、14歳の嫡男・氏輝(うじてる)が跡を継ぐと、寿桂尼は若く病弱であった氏輝の代わりに政務を行い、実際に自分の印判を押した文書を発給している。この頃から、寿桂尼は「女戦国大名」と呼ばれるようになった。

 寿桂尼は時代の変化と今川家の将来を考え、いち早く戦国大名への転身を決意し、自ら政務を行った。その先見性と実行力は、まさにリーダーとしての資質と能力を備えた人物といえそうだ。

 

悲劇と繁栄の裏で人脈を広げる

 このように今川家の実権を握った寿桂尼だが、実際に政務を行ったのは… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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