「女武将」から学ぶリーダー像

潰れかけの家を繁栄へと導いた“女城主”井伊直虎

2017.01.31 Tue連載バックナンバー

 歴史は男性を中心に語られることが多いが、中には、あるときはリーダーとなり、あるときは自ら武器を取り戦場に立っていた女性たちもいた。本連載では、歴史の中でリーダーの座に立った女性たちのがどんな苦悩を抱え、判断を下したかに注目して紹介する。

 

井伊家存亡の危機を救った「おんな城主」

 今、最も話題になっている歴史上の女性といえば、井伊直虎だろう。直虎は今年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公だ。名前はいかにも男性だが、女性である。男性名を名乗って井伊家の家督を継ぎ、遠江(現・静岡県西部)の井伊谷城の城主に就任したことから「おんな城主」というタイトルになっている。

 直虎のことを大河ドラマで初めて知った人も多いかもしれないが、その後を継いだ直政は、徳川家康の重臣として高い知名度を持つ。実は直虎が井伊家当主に就いた大きな理由こそ、この直政に井伊家をつなぐことだった。直虎が生きた時代、井伊家は多くの不幸に見舞われて当主が次々と世を去り、存続の危機に瀕した。そこで、直政が後継者として育つまで直虎がリーダーを引き受けたのである。つまり、直虎はピンチヒッター的な存在だったのだ。

 しかし、弱小勢力の井伊家周辺では駿河(現・静岡県東部)の今川家や甲斐(現・山梨県)の武田家など強大な戦国大名が覇を競っており、座して後継者の成長を待つだけでは生き残れなかった。直虎は知恵を絞って井伊家を守りながら後継者を育てた、敏腕リーダーだったのである。

 

次々降りかかる不幸を乗り越えて当主の座に

 直虎の生年は判然としないが、1534年頃の誕生と推測されている。これは織田信長と同年代だ。

 父の井伊家22代目当主・直盛には男子がなく、直盛の従兄弟である直親(なおちか)を婿養子に迎えて後継者とするため、直虎は幼くして直親と婚約したという。

 しかし井伊家重臣・小野道高は、嫡男の小野道好(みちよし)を直虎の婿養子にして井伊家を乗っ取ろうと考えていたため、直親の後継者擁立に反対。追放のために一計を案じた。この頃の井伊家は、井伊谷(いいのや、現在の静岡県浜松市北区の一部)の豪族に過ぎず、駿河から遠江を支配する戦国大名・今川家に臣従していたため、道高は今川家に直親の父・直満が謀反を企てていると虚偽の密告をしたのだ。直満は処刑され、9歳の直親は家臣とともに信濃(現・長野県)で身を隠した。

 直親の逃亡先は極秘となり、直虎は婚約者の所在も生死すらもわからなくなる。そこで、直親の無事を祈るために出家を決意した。直虎の出家を受け入れた龍潭寺(りょうたんじ)僧侶の南渓瑞聞(なんけいずいもん)は、直虎に「次郎法師」という法名を与えた。「次郎」とは井伊家嫡男が名乗る通称であり、井伊家の後継者という意味を込めたのだ。

 やがて道高が病没すると、22歳の青年に成長した直親はやっと井伊谷へ戻った。しかし出家した直虎とは結婚できないため、井伊家分家筋の奥山親朝の娘が直親の正室となる。この6年後、直親夫婦の間に生まれたのが直政だ。

 直親の帰還で井伊家の後継者は安泰と思われたが、再び危機が訪れる。今川家当主・今川義元… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter