クロネコヤマトを作った男、小倉昌男の経営学(第1回)

牛丼からビジネスを考案した「宅急便の父」の着想力

2017.01.24 Tue連載バックナンバー

 “クロネコヤマト”の愛称で親しまれる「ヤマト運輸」。宅配業界の大手である同社が、一般家庭向けの宅急便事業をスタートしたのは、今から約40年前の1976年のことだった。

 宅急便サービスの開始以前は、一般家庭から荷物を送る小口輸送の方法は郵便小包(ゆうパック)だけしかなく、当時の郵便小包が1億7,000万個口だったのに対して、ヤマト運輸の宅急便はわずか170万個口だった。しかし、2015年のヤマト運輸が扱った宅急便は17億3,126万個口にまで上り、日本郵便が扱うゆうパックの5億1,302万個口を大幅に上回っている。

 宅急便事業をここまで成長させたのが、“宅急便の父”とも呼ばれる元ヤマト運輸会長の故・小倉昌男である。小倉は、どのようにして宅急便事業という新しいビジネスを成功させたのか?彼の著書「小倉昌男 経営学」(日経BP社)を元に振り返る。

 

宅急便のアイディアは牛丼の吉野家から生まれた

 ヤマト運輸の創業は1919年。戦前から近距離輸送の分野に絞って、トラック輸送一筋で事業を行っていた。戦後になり、経済が発展すると、ビジネスを多角化。国鉄(現、JR)からの通運や百貨店の商品配送を請け負い、業績は順調だった。

 しかし、1960年半ばから、基幹業務であるトラック輸送の業績が徐々に下降線を描き始めた。

 背景には、1963年から各地に開通した高速道路があった。長距離トラックにより輸送が活発になり、新規企業が続々と参入。この大きな市場変化に、近距離輸送が中心のヤマト運輸は対応が後手となり、飛躍の機会を逃すことになる。さらに1973年の第一次オイルショックが加わり、ヤマト運輸の経営は窮地に立たされた。

 小倉は、新しいビジネスを考えねばと日々頭を悩ませていた。そんなとき、新聞のある記事を思い出す。牛丼の吉野家が、… 続きを読む

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三浦 一志/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

三浦 一志/studio woofoo(www.studio-woofoo.net)

1972年生まれ。前職のコンサルタント会社を経て、2006年退職後フリーで企業研修講師、大学講師、専門学校講師、Webコンサルタントとしてとして活動している。(財)日本NLP協会トレーナーアソシエイト、NLPマスタープラクティショナー、ITコーディネーター、情報セキュリティアドミニストレーター、テクニカルエンジニア(ネットワーク)、テクニカルエンジニア(データベース)。

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