日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第6回)

トップに好かれ同僚に嫌われた中間管理職・本多正信

2016.08.29 Mon連載バックナンバー

 戦国武将・真田信繁(通称・幸村)の生涯を描くNHK大河ドラマ「真田丸」が、いよいよ天下分け目の関ヶ原の戦いに突入する。徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍の戦いが、家康の勝利で決着することは教科書でおなじみだろう。そして1603年、家康は江戸幕府を開府する。

 関ヶ原の戦い後に存在感を増す、豊臣政権方の中間管理職といえば、徳川家と豊臣家のパイプ役を担った片桐且元(かたぎりかつもと)だが、対する徳川方では本多正信(ほんだまさのぶ)が挙げられるだろう。

 「真田丸」で穏やかな外面の内に権謀術数を秘めた切れ者として描かれる正信は、史実でも家康の天下を盤石にするため、ときに狡猾な策も用いている。実は一度、家康を裏切った過去を持つ正信だが、再雇用されたのちは家康に厚く信任された。なぜかといえば、家康が思い描く未来図を誰よりも理解していたからに尽きるだろう。

 リーダーのビジョンを把握するのは中間管理職として当然かもしれない。しかし、武力衝突が日常の戦国時代から武力行使を禁じる江戸時代へと価値観が大きく変容する中で、家康のビジョンについていけた家臣は意外と少なかったのだ。

 

反逆と再雇用のいきさつ

 正信は家康旧臣の家柄出身で、早くから家康に仕えた。ではなぜ家康を裏切ったのか。その経緯は次のようなものだ。

 若き日の家康は東海地方を治める戦国大名・今川義元の配下だったが、織田信長が桶狭間の戦いで義元を討ったのを契機に独立した。しかし自国の経営資金が調達できず、自分の故郷である三河(現・愛知県東部)の一向宗寺院・上宮寺(じょうぐうじ)から強引に兵糧米(ひょうろうまい)を徴収してしまう。一向宗とは鎌倉時代の僧・親鸞が開いた浄土真宗の宗派のひとつ。戦国時代には信者が多く、三河も例外ではなかった。このため、家康に反発する一向宗信徒が集結して武力蜂起の一揆を起こしたが、そこに一向宗信徒の正信も加わり、家康と敵対したのである。

 家康が一揆を鎮圧すると正信は逃亡し、約19年も放浪した。その間に乱世の梟雄・松永久秀に仕えたこともあったが、欲望を満たすためなら手段を選ばない態度が品格に欠けると感じたようで、久秀のもとから退去している。

 離れたことで改めて家康の将器を思い知った正信は、家康に再雇用を願った。家康は… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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