日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第3回)

上司と戦い部下に愛された中間管理職・遠山景元

2016.07.14 Thu連載バックナンバー

 2014年4月に消費税率が8%へと引き上げられて以降、現在も消費者の買い控え傾向は続いており、消費の冷え込みで不景気に拍車がかかったという見方もある。安倍政権も消費税率10%へのさらなる引き上げには慎重にならざるを得ず、引き上げ開始の時期をすでに二度も延期している。

 消費税率を上げれば税収も上がるという単純な図式は成立しない。むしろ経済活動は鈍化する。経済の中心にいるのは人口の大多数を占める、決して豊かではない「一般庶民」だということを忘れてはならないだろう。

 残念ながら、実際に庶民目線を大切にする権力側の人間は少ない。しかし、数少ない一人が、江戸時代後期に存在した。遠山景元(とおやまかげもと)である。通称を金四郎といい、「遠山の金さん」のモデルとなった町奉行(まちぶぎょう)だ。

 景元が時代劇の“金さん”同様に桜吹雪の刺青を入れていたかはよくわかっていないが、圧政から庶民を守ったことは確かである。しかしその道は険しく、己の意志を貫くために上司と対立するという、中間管理職ならではの苦境を味わった人物だった。

 

名裁判で将軍のお墨付きを得る

 町奉行とは管轄地域の行政官と裁判官を兼ねた役職である。江戸幕府が決めたルールを町民に徹底させ、違反する者の処遇を決定した。遠山の金さんといえば名裁きで知られるが、景元も実際に裁判を取り仕切っていたのだ。

 江戸の町奉行は二人体制で、奉行所の位置関係から北町奉行・南町奉行と呼ばれた。景元は1840年に48歳で北町奉行に就任している。

 北町奉行になるまでの景元は、江戸城西丸勤めが長かった。西丸は隠居した先代将軍や次期将軍である世継ぎが暮らした区画である。景元はここで、後に12代将軍に就任する家慶(いえよし)に仕え、信頼を得たと考えられている。

 家慶は1837年の将軍就任後も景元を高く評価し、「公事上聴(くじじょうちょう)」で名奉行のお墨付きを与えた。公事上聴とは、奉行たちの裁判を将軍が上覧する儀式で、このときは景元を含めて8名が裁判を披露した。そして景元だけが家慶から「奉行たるべき者」と賛辞を受けたのである。

 

町人の娯楽を奪おうとする上司にどう対抗したのか

 将軍の信任厚い名奉行として名を馳せた景元。しかし、やがて老中・水野忠邦(みずのただくに)との対立が待っていた。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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