日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第24回)

「年下の上司」に信頼された中間管理職・島左近

2017.11.29 Wed連載バックナンバー

 バブル崩壊で日本経済が低迷期に入ると、多くの企業が部署の統廃合によるコストカットや、年功序列によらない実力評価型の昇進システムなどを導入して組織運営の効率化をはかった。

 この流れの煽りをまともに食らったのが、バブル期の大量採用組だろう。部署が統廃合されてポストも減る中、「実力」を掲げた新人や中途採用組に、その数少ない椅子を奪われる。そして昇進できないまま、年下の上司のもとに配属されるのだ。

 「年上部下」は長年の経験があるだけに、プライドが邪魔をして、「年下上司」との関係構築に行き詰まりやすい。一方で年下上司も、年上部下への接し方に悩んでいることが多い。

 しかし、年上部下と年下上司が絶対にうまくいかないかといえば、もちろん違う。

 戦国時代の軍略家・島左近(しまさこん)は、梟雄(きょうゆう)と呼ばれた松永久秀やのちに江戸幕府初代将軍となる徳川家康を相手に名采配を振るった名将にして名軍師である。謎の多い人物だが、はっきりしているふたりの主君は、いずれも年下だった。左近はどのようにして年下上司と信頼関係を築いたのか。年上部下の中間管理職という視点から、左近の行動理論を探ってゆく。

 

謎に包まれた凄腕軍略家

 左近は生年、出身地、本名など、プロフィールのほとんどが詳細不明である。通説では1543年に大和(現・奈良県)で誕生したと考えられており、家康とほぼ同世代となる。本名は清興(きよおき)と伝わるほか、勝猛、友之ともいわれる。「左近」は通称で、史料上における左近のはじめの主家・筒井家での役職名だ。

 左近が筒井家に仕えた動機や経緯も詳しくは不明だが、筒井家と島家はともに大和を事実上支配した興福寺の門徒だったという。この縁によって、勢力が勝っている筒井家に島家が従うようになり、左近の仕官につながったと考えられる。

 左近が仕えた当時の筒井家当主は、1549年生まれの筒井順慶(つついじゅんけい)。左近より6歳ほど年下である。父の急逝により2歳で家督を継いだが、11歳のときから久秀の攻撃を何度も受けるようになり、17歳で居城・筒井城を奪われてしまった。城を追われた順慶は、筒井家と縁戚にある布施行盛の居城・布施城に落ち延びて力を蓄え、翌年に久秀の隙を突いて筒井城を奪還する。

 左近が筒井家に仕官した年ははっきりしないが、これら一連の戦いには参加しており、筒井家の反撃に、左近の軍略は欠かせなかった。

 

その名を天下に知らしめた作戦とは

 順慶と久秀の戦いで、特に軍略家・左近の名を天下に知らしめたのが、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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