日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第20回)

長期勤続も突然の転職、謎多き中間管理職・石川数正

2017.07.27 Thu連載バックナンバー

 現在放送中のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公・井伊直虎は、残された記録が非常に少なく、一般的にあまり知られていなかった人物である。大河ドラマにおいて新境地の題材であり、直虎以外にも知名度の高くない人物を重要な役どころに配している。

 そのひとりが、のちの天下人である徳川家康の家臣・石川数正(いしかわかずまさ)だ。ドラマでは家康の一番の側近とされている。

 しかし一般的に、優れた徳川家臣として数正の名が上がることは少ない。なぜなら数正は、家康から豊臣秀吉に鞍替えした裏切り者だからだ。しかもその理由は伝わっておらず、真意は不明のままである。

 なぜ数正は、後に天下を治める家康の元を離れたのか? 彼が“転職”に至るまでの顛末を読み解いてみる。

 

重臣一族出身の信頼厚い側近

 石川家は数正の4代前から家康の家系に仕えた重臣で、家康誕生時に魔除けの儀式を担当したのが数正の祖父だった。数正は生年がはっきりしないが、家康より5歳ほど年上と考えられており、家康の幼少期から側近として付き従っている。家康が実家の臣従の証として今川家の人質となり、今川の本拠地・駿河(現・静岡県東部)に移されたときも、行動をともにした。

 家康を人質時代から支えた重臣にもうひとり、酒井忠次(さかいただつぐ)がいる。特に功績のあった徳川家の4人の家臣・徳川四天王に数えられる名将で、知名度においては数正よりずっと上だ。しかし、初期の徳川陣営では数正と忠次が双璧であり、むしろ家康は数正をより身近に置いて相談役にしたという。数正は家康から、のちの四天王と同等以上の信頼を寄せられていたのだ。

 1560年、当時の今川家当主・今川義元が尾張(現・愛知県西部)の織田信長と争った桶狭間の戦いで討死にすると、家康は故郷の三河(現・愛知県東部)に帰還して独立した。こののちは信長と同盟を組み、信長が1582年に明智光秀の謀反・本能寺の変で無念の死を遂げた後に台頭した秀吉と対峙する。この間、中心となって家康を補佐し続けたのも数正なのである。

 

困難な交渉も成功させた戦国のネゴシエーター

 数正は武芸に優れ、合戦では先陣を切るだけでなく、撤退時には最後方で追撃を防ぐ殿(しんがり)もこなした。攻めも守りも巧みな数正を、家康が重用したのは当然だろう。

 さらに、和睦や同盟の必要が迫ると、常に家康から交渉役を任された。これこそが数正の本領といえる。家康が信長と同盟(清州同盟)を組む際に交渉へと臨んだのも数正で、信長の重臣・滝川一益(たきがわかずます)と対等に渡り合い、お互いの領地を侵犯しない約束を結ぶことに成功した。

 ところが、この同盟が厄介な事態を招いてしまった。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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