日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第2回)

これぞ中間管理職の鏡、上杉家を守り抜いた直江兼続

2016.05.30 Mon連載バックナンバー

 歴史では多くの英雄が名を残すが、英雄たちの活躍を支えたのは、その側で副将・軍師などを務めた“中間管理職”を務める人々だった。主君と家臣の板挟みに耐え、ときに裏の仕事も引き受けた中間管理職たち。この連載では、彼らの知られざる功績と苦悩に迫る。

 第2回は、苦境に立たされた上杉家を支えた直江兼続を紹介する。

 

決定権の所在がはっきりしないと企業は迷走する

 近年、日本を代表する大企業でさえ赤字経営に陥り、経営再建に乗り出す事態がよく見られる。企業が傾く原因には、長引く不況や市場のグローバル化への対応力不足がよく挙げられるが、より根本的な問題として指令系統の混乱がある。危機に際してトップの指示が二転三転し、社員の動きが麻痺してしまうのだ。

 経営不振に陥ってから社長が何度も交代した大手家電メーカーは、その度に方針をころころ変えて自力再建の道を自ら塞いでしまった。国内の投資ファンドから支援の提案があったようだが、結局は破断となり、台湾の電子機器メーカーに買収されるかたちとなった。破断の理由は役員同士の利権のぶつかり合いかと噂されている。

 「ゴーサインを出すトップ」という企業全体の拠り所が不安定なら、経営が傾くのはむしろ当然である。それは戦国時代の大名家にもいえることで、美濃(現・岐阜県)の斉藤家のようにトップと後継者の内紛があったり、会津(現・福島県)の蒲生家のように若い当主の補佐役同士が対立したりして力を失った例は多い。

 その中にあって、トップの決定権を重視したのが直江兼続である。

 

決定までのお膳立てを担当した兼続

 兼続がトップと仰いだのは、越後(現・新潟県)の上杉家当主・上杉景勝である。上杉家は“軍神”の二つ名を持つ上杉謙信が盛り立てた名家で、景勝は謙信の後継者。謙信を尊敬する景勝は、先代のような威厳を出せるよう、無口で無表情な態度を貫いたといわれる。その一方、兼続は頭の回転が速く雄弁で、景勝の代弁者のような存在だった。

 景勝は兼続に上杉家の内政も外交も軍事も任せたため、兼続は上杉家中で絶大な権力を持っていた。知的で弁が立ち、上杉家のすべてを知る兼続は、有能な人材を求める豊臣秀吉から何度も引き抜きの誘いを受けた。また、諸大名が上杉家へ送った書状もほとんどが兼続宛てである。

 このように、兼続は優秀だったため、上杉家の政治を好き勝手に動かしたような印象を持たれるかもしれない。しかしそうなれば、景勝が兼続を疎ましく思ったり、上杉家臣が景勝をないがしろにするという話が残っていそうだが、現在にそうした話は伝わっていない。

 この点こそが、兼続の中間管理職的手腕である。兼続は各地に派遣した部下に情報収集を任せ、得た情報を精査・分析し、問題解決の案を景勝に提供した。そして、決定だけは景勝が下すまで待った。こうすることで上杉家の指令系統が正常に機能すると考えたのだ。

 

「天下」というグローバリズムを意識してトップを導く

 決定権をトップ以外に行使させない方針は組織運営に重要だが、トップが道を誤れば意味がない。特に兼続と景勝は、信長・秀吉・家康の“天下リレー”をすべて見てきた世代で、常に身の振り方を思案する必要があった。

 冒頭の大手家電メーカーが、台湾の電子機器メーカーを選んだことが正解なのかは、まだわからない。これと同じく、戦国時代をリアルタイムで生きる人間に次の天下人などわからない。そんな中で兼続は、信長の次に天下を取るのは… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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