日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第19回)

「本社」に忠実過ぎて嫌われた中間管理職・小野政次

2017.06.28 Wed連載バックナンバー

 コンビニやファミレスなど、店舗をチェーン展開する企業に必要不可欠な存在が、エリアマネージャーである。企画や販売戦略を決定する本部と、それを実行する現場の店舗を中継ぎする重要な中間管理職だ。

 戦国時代の武士階級の構造は、このチェーン展開する企業によく似ている。武士も全員が横並びではなく、強大な戦国大名に、地域ごとの小規模な大名が従うことで、領土が統治されていた。そして、本部に当たる大規模な大名が、店舗に当たる小規模な大名を管理・指導するためのエリアマネージャー的立場が、目付(めつけ)と呼ばれる役職だった。

 現在放送中のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」で、高橋一生の名演技が話題となっている小野政次(おのまさつぐ)の役職も、目付である。政次が仕える井伊家は、遠江井伊谷(現・静岡県浜松市)の井伊谷城を本拠地とする小勢力で、駿河(現・静岡県東部)を中心に大勢力を擁する今川家に従属していた。そして政次は井伊家ナンバー2の家老であり、今川家の意向を井伊家に徹底させる目付でもあった。

 ドラマでは、今川家の無理難題を淡々と押しつけ、井伊家から裏切り者扱いされるシーンも多く描かれていた政次だが、逆にいえば目付の職務を忠実にこなしていたといえる。

 

“政次は裏切る可能性があって心配”

 小野家が井伊家に出仕したのは政次の祖父の代からで、平安時代から続く井伊家にとっては新参者である。出仕のきっかけは当時の井伊家当主・井伊直平の招きによると伝わるが、実際には今川家が井伊家を監視するために送り込んだと見られる。

 井伊家は南北朝時代から今川家と抗争していたが、戦国時代に大敗を喫して降伏し、今川家の配下となった経緯がある。このときの降伏の条件が、小野家を目付として迎えることだったのだ。

 1554年、政次は父・政直から井伊家家老と目付を引き継ぎ、井伊家当主・井伊直盛に仕えた。しかし直盛は1560年の桶狭間の戦いで討死し、養子の直親が当主を継ぐ。ところが1562年、今川家の支配を嫌った直親は今川家に誅殺されてしまい、直盛の長女・直虎が当主となった。「おんな城主 直虎」で描かれているのは、このような井伊家の試練の時期である。

 この頃の政次が井伊家中からどう見られていたかを、直盛の遺言がわかりやすく示している。「政次は裏切る可能性があって心配なので、分家筋の中野直由(なおよし)に井伊谷を預け、時期が来たら直親に任せたい」といっているのだ。今川家からの目付が、井伊家にとって歓迎されない存在だったことは想像に難くない。

 

直親誅殺は政次の裏切りだったのか?

 しかし、政次が本当に井伊家を裏切ることを考えていたとは言い難い。なぜなら、直親誅殺は政次というよりも、直親自身が自滅した可能性の方が高いからだ。

 直親誅殺の原因は、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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