日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第17回)

龍馬の名案を盗んだ?中間管理職・後藤象二郎の真実

2017.04.26 Wed連載バックナンバー

 日本有数の大企業が子会社買収に失敗する事態が相次いでいる。2006年にアメリカの原発メーカーを約6,400億円で買収した大手家電メーカーは、原発建設が当初の予定通りに進まず、損失額が7,000億円規模にまで膨らんで、倒産の瀬戸際に立っている。また、2015年にオーストラリアの物流会社を約6,200億円で買収した郵便事業の持ち株会社は、鉄鉱石をはじめとする資源価格の下落でオーストラリアの経済状況が悪化し、設立以来最大級といわれる4,000億円規模の損失が最近になって発覚した。

 もちろん、どんな買収にもある程度のリスクは伴う。だからこそ、決定する人間はそれを差し引いても、きちんと利益が出るパートナーなのか見極める眼力が必要だ。失敗すれば、どんな大企業でもまたたく間に存亡の危機となる。

 幕末期に土佐藩(現・高知県)の中間管理職として腕を振るった後藤象二郎(しょうじろう)は、坂本龍馬が営む貿易商社を傘下に収めて、大政奉還へとつながる時代の流れを引き寄せた人物である。もともと敵対関係だった龍馬と手を組んだため、一貫性がないと批判されることも多いが、むしろ時流を読む力に秀でていたからその決断ができたといえるだろう。

 

藩政の実力者に重用されるも失脚

 象二郎が生まれた土佐藩の武士には、「上士(じょうし)」と「下士(かし)」という身分があった。この成り立ちは、戦国時代の関ヶ原の戦いまでさかのぼる。当時の土佐を支配していた長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)は、敗者の石田三成に味方したため、戦後に家を取り潰された。そこに代わって入ったのが、勝者の徳川家康に味方した山内一豊(やまうちかつとよ)である。このような経緯のため、山内家と縁のある家柄の武士は身分の高い上士、長宗我部家と縁のある家柄の武士は身分の低い下士とされたのだ。

 象二郎は上士の家柄出身である。11歳で父が病死し、叔母の夫で土佐藩の軍事や民政に携わる吉田東洋(とうよう)が父代わりとなった。象二郎は東洋の私塾・少林塾(しょうりんじゅく)で学問を修め、東洋からその才覚を認められると、21歳の若さで地方行政官である郡奉行(こおりぶぎょう)に就任する。

 ところが、25歳のときに東洋が暗殺され、象二郎も失脚した。東洋は藩主・山内容堂(ようどう)の信頼厚く、藩政改革を一任されて海外勢力と積極的にかかわる開国政策を推進した。この結果、開国と真逆に、海外勢力を排除すべきと考える攘夷勢力・土佐勤王党(とさきんのうとう)に襲撃されたのである。

 事件後、土佐藩政からは東洋の派閥が一掃され、失意の象二郎は、再起を誓って江戸に留学した。

 

仇同士の因縁を越えて龍馬と手を組む

 東洋暗殺の3年前、東洋の理解者だった容堂は藩主を退き、江戸で隠居していた。江戸幕府将軍の後継者を巡る政争に関わり敗れ、謹慎処罰を受けていたのだ。その謹慎期間が明けると、容堂は土佐に帰国して、隠居の身ながら再びリーダーシップを発揮した。

 容堂が真っ先に着手したのは、土佐勤王党の排除である。容堂の帰還を知った象二郎も土佐へ戻り、藩政に復帰。容堂を補佐して土佐勤王党リーダー・武市半平太(たけちはんぺいた)を切腹させ、反乱分子を解体した。

 この半平太の友人で、土佐勤王党に参加していたのが龍馬だ。つまり、象二郎と龍馬はお互いに仇同士となる。しかし象二郎は、龍馬の… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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