日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第16回)

激務も給料UPせず、働き過ぎ中間管理職・長谷川平蔵

2017.03.23 Thu連載バックナンバー

 2月24日、初のプレミアムフライデーが実施された。企業が毎月最終金曜日の退勤時間を早め、ビジネスパーソンに充実した月末を過ごしてもらうという経済産業省の施策だ。

 ただし、プレミアムフライデーに強制力はない。採用は各企業の自由なので、初日には無縁だった人も多いのが実情である。東京霞ヶ関の官庁街でも、先導役の経産省は15時退庁を実施したが、予算案の国会審議を控えた財務省で15時退庁する職員は少なく、扱いに差が出るスタートとなった。

 霞ヶ関が政治の中心地なのは、将軍が江戸城で政務を行っていた江戸時代から変わらない。では江戸城勤めの上級幕臣の勤務スタイルはというと、10時出勤・14時退勤が基本だった。しかし、市井で働く幕臣だとそうはいかない。特に江戸が巨大都市に成長した江戸時代中期は、犯罪の増加が深刻化し、現場に関わる幕臣は、退勤後のプレミアムな時間など考える余裕もなく働き続けた。

 その代表格が長谷川平蔵(はせがわへいぞう)だ。激務で知られた江戸の治安維持担当・火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた、放火・盗賊・賭博を取り締まる役職。略称・火盗改)のリーダーを務めながら、犯罪者の更生施設まで創設した、相当のワーカホリックである。

 

父の背を見て将来の仕事を学ぶ

「火盗改の長谷川平蔵」といえば、池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』や、それを原作にしたTVドラマTVアニメの主人公が広く知られるが、モデルの平蔵は実在の人物である。

 本名は宣以(のぶため)で、平蔵という通称は父・宣雄(のぶお)から継いだ。はじめは銕三郎(てつさぶろう)と名乗り、19歳の頃から住んだ本所(現・東京都墨田区)では、賭場や遊里に出入りして「本所の銕」と呼ばれる不良だった。

 しかし、1768年に23歳で10代将軍・徳川家治(いえはる)に拝謁すると心を入れ替え、父の補佐をしながら将来の仕事を学ぶようになる。長谷川家は代々幕臣の家柄だが、宣雄は特に有能だったらしく、家中で初めて先手組頭(さきてくみがしら)に出世した。先手組頭は将軍や江戸城を警護する先手組のリーダーで、幕臣のトップである老中に次ぐ若年寄と同等の地位である。

 この先手組頭の加役(かやく、兼任の役職)が、江戸の犯罪を取り締まる火盗改のリーダー・火付盗賊改方頭だ。宣雄も火盗改頭を務めており、1772年に江戸の半分を焼いた明和の大火の放火犯を逮捕するなどの功績を立てた。平蔵は火盗改頭の先輩でもある父を尊敬し、「父の見習いが何物にも代えがたい経験になった」と回想している。

 

手当がつかない役職を長期間兼任

 火盗改は捜査と逮捕の権限を持っており、現在の警視庁とも東京地検特捜部ともいえるような存在だった。そのリーダーともなればさぞ高給取りだったように思えるが、実はそうでもない。当時の給与システムでは、加役の手当という概念がなかったので、本来の役職である先手組頭分の給与しかなかったのだ。

 そのわりに役所の割り当てはなく、火盗改頭は自宅で容疑者の拘束や聴取をした。また、逃走した容疑者を追跡して江戸の外まで捜査することもあり、負担はかなり大きい。このため、火盗改頭は2~3年で交代するのが通例だった。

 ところが平蔵は、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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