日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第15回)

7度も転職した渡り鳥系中間管理職・藤堂高虎の真意

2017.02.27 Mon連載バックナンバー

現代とよく似ている戦国時代の転職事情

 終身雇用はもはや過去の概念だが、それでも日本では一度就職した企業や組織から離れることをよしとしない風潮がある。しかし、大手広告会社の女性社員が過酷な労働の末に自殺を選んだ事件を振り返れば、転職も人生の選択肢に入れておくべきだろう。

 いわゆるブラックな職場でなくとも、自分のやりたい仕事と実際の業務にギャップを感じているなら、転職したほうが望んだ結果を得られる可能性はある。そうやって未来を切り開いた人物が戦国時代にもいた。藤堂高虎である。高虎は生涯に7度も主君を替え、最終的に成功を手にした。ひとりの主君に生涯忠誠を捧げることが美徳とされたのは江戸時代からで、戦国時代には主君を渡り歩くのもひとつのスタイルだったのだ。しかし、利益にさとい不忠者と嫌悪する同時代人は多く、ルール違反でもないのに転職しづらい空気感は、現代とよく似ていたようである。

 それでも高虎は自分のやりたい仕事に向かって転職を続けた。ただ利益を追い求めたのではなく、ぶれない理想を持っていたのだ。

 

体格に恵まれ、武芸に秀でた若武者

 高虎は近江(現・滋賀県)の身分が低い武士の家に生まれた。父は近江の戦国大名・浅井長政に仕えており、長男が討死したため、次男の高虎が藤堂家の後継者になったという。

 幼少期の高虎は、“切れ者”というよりも、体格に恵まれていたこともあって“武闘派”だったようだ。高虎は乳母3人の母乳でやっと満足する大きな赤ん坊で、6歳頃には大人と同量の食事を摂り、やがて身長190cmの巨漢に育ったという。

 この恵まれた体躯を生かし、13歳で犯罪者を討ち取る功を上げた。長政の居城・小谷城の城下で逃走中のならず者が民家に立てこもり、高虎の父と兄が捕縛に向かったときのことである。高虎も行きたいと願ったが、「子どもには早い」と許されなかった。しかし諦めきれない高虎は、父の刀を持ち出して現場に出向き、ならず者の首を取ったのである。

 このとき高虎は、追い詰められた犯罪者が裏口から出てくると読んで待ち伏せしており、機転がきくところを垣間見せている。しかし15歳で初出仕した長政のもとでは、まだ武芸一辺倒の豪胆な若武者でしかなかった。

 

信長の戦略を見て、やりたい仕事が何かを知る

 高虎の仕官当時、長政は織田信長と敵対しており、浅井軍と織田軍による姉川の戦いが高虎の初陣となった。合戦自体は浅井軍の敗北だったが、高虎は敵の首を取る活躍を見せ、以降も織田軍との戦いで奮戦して、長政から刀や感謝状を授かっている。

 ところが高虎は、喧嘩した同僚を斬り殺すというトラブルを起こして浅井家を退出。2番目の主君である浅井家家臣・阿閉貞征(あつじさだゆき)に身を寄せた。この時期に見た信長の戦略が、高虎の転機となる。

 信長は小谷城に籠る長政を攻めるため、小谷城南方の虎御前山(とらごぜんやま)に城を築いた。この虎御前山城はわずか2週間ほどで完成したが、将たちの砦がずらりと並ぶ本格的な構造だった。しかも信長はこれだけで飽き足らず、… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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