日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第13回)

部下の“正規雇用”に尽力した中間管理職・服部半蔵

2016.12.14 Wed連載バックナンバー

 2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、戦国時代に実在した女性当主・井伊直虎が主人公だ。直虎自身はマイナーな人物かもしれないが、直虎が義理の息子・直政の養母となり、その直政が徳川家康の重臣となったことで、井伊家は江戸時代も譜代大名のトップに君臨し続けた。直虎は井伊家にとって欠かせない存在といえるだろう。

 幕末に開国政策を強行した井伊直弼(なおすけ)は直政の子孫である。直弼は海外諸国と戦争しても現状の日本では勝てないと理解していたため、開国に踏み切った。しかし、性急な政治判断は国内の猛反発を招き、桜田門外にて暗殺される。

 桜田門は江戸幕府将軍の住居・江戸城の南門に当たる。江戸城正門は東側の大手門で、西側が裏門となる。この裏門が、地下鉄の路線名や駅名でよく知られる「半蔵門」だ。名前の由来は、直政らと並んで家康の重臣だった服部半蔵からきている。半蔵の部署が江戸城の裏門警備を担当したためだ。

 この「半蔵」とは服部家当主が代々名乗った通称で、個人名ではない。一般的に服部半蔵といえば、最初に半蔵門警備を任された2代目半蔵・正成を指すことが多い。

 

脱・非正規雇用のため忍者を廃業?

 服部半蔵は小説やドラマでよく忍者として描かれる。この忍者という職業はいかにも架空に感じられるため、半蔵も架空の人物と思われやすい。結論からいえば、忍者も半蔵も実在した。ただし、正成は忍者ではない。忍者だったのは正成の父で、初代半蔵の保長(やすなが)のみとされている。

 保長は忍者の里である伊賀(現・三重県北西部)出身で、服部党という忍者集団のリーダーだった。家康の祖父・松平清康に気に入られて家臣となり、服部党を連れて清康の本拠地である三河(現・愛知県東部)に移住した。

 正成が誕生したのはその後のことと考えられている。つまり正成は三河生まれで、忍者の英才教育を受けられる環境にいなかったらしい。

 むしろ保長は、正成を忍者にしたくなかったともいわれる。現実の忍者は物語に登場する奇想天外なヒーローではなく、産業スパイのような特殊工作員だ。スキルが優れていても表沙汰にできない存在であり、他の重臣たちと同じ正規ポストは与えられなかった。

 そこで保長は正成に槍を与え、武士として教育したという。正成は父の期待に応えて槍の腕を上げ、家康が三河を平定した頃には数10人の兵を率いる足軽大将という「表の役職」に就いた。

 

主君の危機こそプレゼンの好機

 しかし正成は忍者と完全に縁を切ったわけではない。保長から服部党を引き継ぐと、部下である忍者たちの正規雇用も目指して、家康とのパイプ役を務めようと考えていた。それが保長の願いでもあったのだ。

 チャンスは1582年の本能寺の変で訪れた。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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