日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第11回)

同族経営の勘所を押さえていた中間管理職・豊臣秀長

2016.11.18 Fri連載バックナンバー

 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けた建設ラッシュが各地で始まっている。今年4月に発表された虎ノ門再開発計画もその一つで、虎ノ門ヒルズを手掛けた大手デベロッパーが、虎ノ門ヒルズ周辺にさらなる高層ビルを3棟建設するという。

 このデベロッパーは壮大な建設計画で常に注目される大企業だ。しかし、かつては社内分裂騒動を経験している。創業者の後継である兄弟の意見が対立し、弟のグループ会社は本社から切り離された。

 兄弟が同じ組織に属すると、ポストや運営方針を譲り合えずに確執を生むケースが多い。この傾向は同族がメインで成り立つ戦国大名家にも顕著で、織田信長伊達政宗は実の兄弟を自ら排除している。

 しかし、兄弟には「忌憚のないやりとりができる」、「他人に頼みづらいことも頼める」などのメリットも多い。この強みを生かして成功したのが豊臣秀吉・秀長兄弟だ。トップの秀吉にとって弟・秀長は、何でも相談できる右腕として欠かせない中間管理職だったのである。

 

兄の願いで農民から武士に転身

 秀長は秀吉の同母弟とも異母弟ともいわれるが、正しいことはわかっていない。出自にも不明点が多いが、秀吉・秀長兄弟が貧しい一般家庭に生まれたことは確かなようで、立身出世のために家を出た秀吉が秀長に協力を求めたとき、秀長は農民として生計を立てていた。

 現代でも裸一貫から成功をつかむことは難しいが、戦国時代にはなおさらである。大名は父祖伝来の土地と多くの分家や家臣を持っている。何一つ元手のない秀吉が背負ったハンデは、スタートからすでにかなり重かった。

 それでも秀吉は10代で信長に仕官し、天賦の機転と愛嬌で出世を重ねる。ところが、軍隊を預かる立場になっても全幅の信頼を置ける側近がいなかった。だからこそ、弟・秀長がいれば心強いと考えたのだ。

 秀長は秀吉のたっての願いを聞き入れ、兄に仕える決意をした。詳細な時期は不明だが、20代前半には武士に転身していたと考えられている。

 

秀吉の天下統一を助け戦場で活躍

 トップの側近というと戦闘には加わらないイメージが強いかもしれないが、秀長は秀吉が天下を統べるまでの合戦のほとんどで戦場に出ている。土佐(現・高知県)の長宗我部元親を降した1585年の四国攻めでは、体調不良の秀吉に代わって総大将を務め、薩摩(現・鹿児島県)の島津義久を降した1587年の九州攻めでは、秀長が九州の東側、秀吉が西側を同時に攻め上った。

 まさにナンバー2という戦歴だが、より注目すべきは殿軍(でんぐん)を何度も担当している点だろう。殿軍とは、撤退戦で最後方を守るポジションである。敵の追撃を食い止める重要な役割だが、それだけに危険も多い。そこで秀吉は、最も信頼できる秀長に任せたのだ。

 秀長は秀吉の信頼によく応えた。1570年の金ヶ崎の戦いでは、近江(現・滋賀県)の大名・浅井長政に急襲された信長を逃がすため… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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