日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第10回)

西郷隆盛も慕った、優秀すぎる中間管理職・小松帯刀

2016.10.30 Sun連載バックナンバー

 2018年のNHK大河ドラマが「西郷どん」に決定した。タイトルからわかる通り、主人公は明治維新の功労者で維新三傑の一人・西郷隆盛である。「西郷どん」は「せごどん」と読む。西郷の出身地・薩摩藩(現・鹿児島県)の訛りだ。地元では今も昔も、西郷が随一の英雄として敬愛されている。

 しかし西郷は、上司・島津久光の命令に背いて2度も流罪になるなど、中間管理職としては優れていたと言い難い。西郷が藩に戻ってこられたのは、親友で、同じく維新三傑の一人である大久保利通の助けがあってのことだ。

 実際のところ、幕末の薩摩藩で藩政の中心となった中間管理職は、西郷でもなく大久保でもなく、家老の小松帯刀(こまつたてわき)である。家老とは、トップの藩主を補佐するナンバー2。西郷・大久保と比べて知名度が低い帯刀だが、これは裏方に徹した結果といえる。実際には、帯刀がいなければ西郷・大久保は世に出ることすらなかったかもしれないのだ。

 

気さくなエリート官僚

 薩摩藩主の島津家は鎌倉時代から続く名門で、重臣にも古式ゆかしい家柄が多い。帯刀も島津家の重臣である肝付(きもつき)家に生まれ、同じく重臣の小松家の婿養子となって小松姓を名乗った。「帯刀」とは小松家に入ったのちの通称で、本名は小松清廉(きよかど)といった。

 帯刀に婿養子入りを勧めたのが、11代薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)である。1855年、小松家当主・小松清猷(きよもと)が後継者不在のまま病死したため、帯刀に家督を継がせたのだ。このとき帯刀は22歳で、斉彬の側近として出仕していた。

 斉彬は海外情勢に詳しい開明君主といわれる名君。その斉彬が目をかけるほど、帯刀は優れたスキルの持ち主だった。当時必須の教養である儒教や和歌に通じ、乗馬も得意とした。

 高等学問を修め、ふたつの名家と縁を持つ帯刀は、まさにエリート官僚だ。しかし、それを鼻にかけない気さくで温和な性格だった。優秀な人材は身分を問わず登用するという斉彬の方針に賛同し、下級藩士である西郷・大久保の意見や提案も積極的に採用した。

 西郷・大久保が藩政に加われたのは、帯刀がいたからなのだ。

 

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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