日本を支えた“中間管理職”の苦悩(第1回)

あえて憎まれ役に徹した悲劇の中間管理職・石田三成

2016.05.23 Mon連載バックナンバー

 歴史では多くの英雄が名を残すが、英雄たちの活躍を支えたのは、その側で副将・軍師などを務めた“中間管理職”だった。主君と家臣の板挟みに耐え、ときに裏の仕事も引き受けた中間管理職たち。この連載では、彼らの知られざる功績と苦悩に迫る。

 第1回は、天下人・豊臣秀吉のもとで活躍した石田三成を紹介する。

 

戦国時代は天下を手に入れた後も大変だった

 「アベノミクス第三の矢」と呼ばれる安倍内閣の経済成長戦略は、開業率10%を目標としている。しかし、現状は約4%とまだまだ達成に程遠い数値。その一方で廃業率が開業率を上回る状況はバブル崩壊後から続いており、開業から3年での廃業率は70%とも、10年での廃業率は90%ともいわれている。

 近年の不景気が復調しない原因のひとつが、この「廃業率>開業率」の図式。両者が逆転しなければ、経済の活性化は難しいだろうが、とはいえ起業も経営の継続も簡単ではない。それは戦国時代も同じで、天下取りの戦いにも、天下を手に入れたのちの政権運営にも多くの困難が降りかかっていった。

 織田信長の跡を継いで天下人となった豊臣秀吉の場合、多くの個性的な戦略で難局を乗り越えた。合戦では戦死者を減らすために兵糧攻めを行い、天下を取ると農民の暴動を防ぐため、農民が所持する武器を取り上げる「刀狩(かたながり)」を命じている。

 しかしもともと信長の配下にすぎなかった秀吉が、本人の才覚だけでここまでの出世を遂げるのは不可能な話。秀吉が天下人として「起業」できた一番の理由は、多くの有能な家臣を抱えていたからだ。

 

「政治では有能だが戦下手」のイメージは正しいのか?

 中でも重宝したのが石田三成だった。秀吉は信長配下時代から三成に合戦の補給係を任せ、天下人になると刀狩のほか、全国の米の取れ高を調査する検地などの責任者に抜擢している。

 頭脳明晰な三成は秀吉の期待に応え、豊臣政権の中心人物となった。しかし、高慢で冷酷な性格のため敵が多かったといわれ、また、秀吉が行った北条氏攻略の一環である忍城(おしじょう、現在の埼玉県行田市)攻めで完膚なき敗戦を喫しており、戦下手と評価されることも多い。

 政治では有能だが敵が多く戦下手――というのが一般的な三成像となるわけだが、そうすると秀吉は、優れた家臣に恵まれながら、三成に不得手な分野までやらせていたのかという疑問が浮上する。

 実はその点にこそ、秀吉が三成に絶大な信頼を寄せた理由と、三成の中間管理職としての悲哀が隠されているのだ。

 

大敗の裏で三成が守ったものとは… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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