日本を変えたライバル列伝(第1回)

豊臣秀吉vs明智光秀/ライバル関係に優劣がついた瞬間

2015.12.17 Thu連載バックナンバー

 豊臣秀吉明智光秀は、どんな歴史オンチな人でも名前を知っている有名人です。彼らふたりは、天下統一を目前に命を落とした、織田信長の有能な部下でした。

 秀吉は信長の死後、その意思を継いで天下統一を果たした人物。統一した後、秀吉は「私戦禁止令」を発令し、武将たちの戦いを禁止しました。争いがあれば自分が仲介に入ることを宣言して、戦国時代にあって平和な世の中を作ろうと尽力しています。

 一方の光秀は、上司である信長を裏切った「本能寺の変」で知られています。謀反の理由としては、信長にいじめられていたとか、信長の冷酷無比な人事に「明日は我が身」と将来を悲観したなどが挙げられていますが、なぜ光秀が信長を裏切ったのか、実のところはよく分かっていません。

 いずれにせよ、一方は上司の立派な後継者となり、一方は上司を裏切って消えていった敗者ということになります。

 信長の部下のなかでも最高幹部であったふたりに、どういった違いがあったのでしょうか。

 

人の懐に入り、上司や部下にかわいがられた秀吉

 秀吉はもともと農民の出身で、下積み時代が長い苦労人として知られています。信長の部下となる前はどんな生涯を送っていたのか、謎に包まれていますが、何十回と転職を繰り返していました。また武士になった後も、農民出身であることから、さまざまないじめに遭ってきたようです。武士の社会に農民が入っていくことは、東大出身者しかいない企業に高卒が入社するようなもの。見下されたり、不当な仕事を割り振られたり、さまざまな理不尽に遭遇したことが予想されます。

 そんな秀吉が不遇時代に身に付けたスキル。それが「人たらし」です。秀吉は人の懐に入り込むのが非常に上手でした。上司にかわいがられ、部下には慕われる術を知っていたのです。

 寒い日に信長の草履を懐に入れて温めておいたという下積み時代のエピソードからも窺い知れるように、秀吉は相手の立場になって考え、相手を喜ばせることに長けていました。

 その才能をいかんなく発揮したのが、… 続きを読む

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小野 雅彦

小野 雅彦

フリーライター

歴史時代作家クラブ会員。雑誌やムックなど、戦国時代や幕末などの日本史にまつわる記事を中心に執筆。地方に埋もれた歴史や人、事件などについて取材を続けるほか、東日本大震災以降は原発関連の記事なども手掛けている。著書に『なぜ家康の家臣団は最強組織になったのか 徳川幕府に学ぶ絶対勝てる組織論』(竹書房新書)がある。秋田県秋田市出身。

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