戦国武将、2代目の苦悩(第8回)

前田利長/英断か迷走か、加賀百万石を守った決意

2016.01.27 Wed連載バックナンバー

 新幹線の開通で現在、注目を集めている北海道の函館市ですが、ちょうど1年前、同じように注目を集めていた都市がありました。石川県の金沢市です。2015年3月14日、東京~金沢間を直通する北陸新幹線が開業。金沢城や兼六園といった観光名所の入場者数が、開通前と比較して大幅に増えているという報道も見られます。

 金沢の街が現在のように発展するきっかけとなったのが、1583年、戦国武将の前田利家が金沢へ配属されたことでした。別名「槍の又左(またざ)」と呼ばれた利家は、主君の織田信長のもとでその異名通りの武勇を発揮し、信長死後はかつての同僚で親友でもある豊臣秀吉に仕えて政権の重鎮となった名将です。

 しかし金沢の繁栄は、利家だけの功績ではありません。2代目にあたる前田利長の存在が、大きく影響しています。

 

先代とまったく逆の行動を取った2代目

 利家の代名詞といえば「加賀百万石」。利家に連なる前田家は、もともと尾張(現在の愛知県)の家柄ですが、利家が信長から能登(現在の石川県北部)を拝領して移り住み、のちに秀吉から加賀(現在の石川県南部)も拝領して勢力を広げました。このため、利家は加賀前田家初代とされます。

 しかし実際には――野暮な話かもしれませんが、利家の領地は83万5,000石。利家の嫡男・前田利長の領地である越中(現在の富山県)を加えた合計でこれだけでした。

 加賀前田家2代目の利長は、秀吉に反旗を翻した佐々成政の制圧で武功を認められて越中を得ました。ほかにも天下統一のための九州攻めや小田原攻めなど秀吉の主要な合戦に加わっており、利家の後継者として充分なはたらきをしています。しかし、後世での評価はあまり高くありません。

 その一番の理由は、利家死後に父と正反対の行動を取ったからです。利家は秀吉とその嫡男・秀頼を支えて政権を守りました。ところが利長は、豊臣家の天下を奪おうとする徳川家康に味方したのです。

 しかし、これを裏切りと見るのは酷な話でしょう。利長は家康が天下人になりそうだと打算で動いたわけではないのです。前田家が生き残る策を模索した結果の行動でした。

 

唯一無二すぎた利家の存在があだに… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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