戦国武将、2代目の苦悩(第7回)

真田信之/家康に頭を下げ続けた“地味な男”の戦い

2016.01.08 Fri連載バックナンバー

弟と比べて華がない嫡男?

 2016年のNHK大河ドラマが「真田丸」に決定したとき、多くの歴史ファンが歓喜しました。天下人・徳川家康を追い詰めて「日の本一の兵」と呼ばれた真田信繁(通称・幸村)が主人公とくれば当然でしょう。しかも脚本が三谷幸喜さん、主演が堺雅人さんという豪華な布陣です。

 この作品で、信繁の兄・信之を演じるのが大泉洋さん。普段はコミカルな演技が光る大泉さんですが、今回は「生真面目な兄貴キャラで新境地を見せたい」と意気込んでいます。

 信之は、信繁とともに家康を苦しめた真田昌幸(「真田丸」で演じるのは草刈正雄さん)の嫡男。昌幸・信繁父子は二代で家康を苦しめたとよくいわれますが、正真正銘の昌幸の二代目は信之です。ところが信之は信繁のように輝かしい戦績もなく、ひたすら家康に平身低頭して仕えたこともあり、地味と見られやすい人物です。

 しかし、父と弟が家康に反抗したというのに松代藩(現・長野県)の初代藩主を務め上げた信之の処世術と経営手腕は並大抵ではありません。信之は徳川家の覇道を脅かそうとした昌幸の息子でありながら、家康と江戸幕府に信頼されたのです。その根底には「真田家を守り、後世に伝える」という強い意志があり、その軸は一度もぶれませんでした。大泉さんが描く信之像も、このような信之の生き様からイメージされたものでしょう。

 それではなぜ、信之は昌幸・信繁と逆に家康を主君としたのでしょうか。そこには小大名・真田家ならではの生き残り戦術がありました。

 

昌幸と家康の深い因縁

 信之が家康に仕えるきっかけは豊臣秀吉の取りなしによるもので、昌幸と家康の間には深い確執がありました。

 昌幸はもともと武田家に仕えていましたが、武田家が織田信長に滅ぼされると信長に仕え、信長が本能寺の変で横死すると、相模国(神奈川県)の北条氏直に主を替え、さらにその後、情勢を見て家康に仕えました。真田家は領地の少ない小大名なので、こうして主君を替えながら生き残るしか道がなかったのです。

 ところが、信長の旧領を巡って争っていた家康と氏直が和睦するとき、家康は… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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