戦国武将、2代目の苦悩(第4回)

北条氏綱/無名の家系を一流に変えたプロデューサー

2015.11.27 Fri連載バックナンバー

 豊臣秀吉徳川家康などの天下人や、伊達政宗前田利家ら大藩をなした武将は、ある意味で「幕府」や「藩」という企業の“創業者”といえます。となると、その跡を次ぐ後継者は“2代目社長”とみなすこともできます。

 偉大なる創業者の跡目を継いだ“2代目”には、相当な苦労があったのは間違いありません。彼ら2代目のリーダーたちは、初代から何を引き継ぎ、何を引き継がなかったのでしょうか?

 2代目だからこそ直面した彼らの知られざる苦労に迫る本連載の4回目は、五代にわたって関東地方を支配した北条家の礎をつくった“名プロデューサー”、北条氏綱を取り上げます。

 

氏綱のアイデアが北条家の方向性を決めた

 氏綱の父親は、“戦国大名の元祖”といわれる北条早雲です。早雲はもともと、駿河(静岡県中部)の今川家に仕える一家臣でした。主君の命令で出陣を繰り返すうちに伊豆(静岡県伊豆地方)と相模(神奈川県)を手中に収め、小田原城を拠点に独立、戦国大名としての北条家初代当主となります。まさに、身分の低い者が上の者を倒してのし上がる、下剋上の体現者なのです。

 また早雲は、自分の領地に重税を課すようなことはなく、むしろ税を軽くして民衆の支持を得ました。武将としても政治家としても優れた手腕を発揮した早雲は、こののち五代にわたって栄える北条家の礎を築いた名将として、広く名を知られています。

 北条家で早雲の次に有名な当主といえば、3代目の氏康でしょう。小田原城を修復・拡充し、武田信玄と上杉謙信すら退却させる巨大要塞につくり上げました。さらに信玄と今川義元との間に三国同盟を結び、積極的に関東へ進出。落とした城は小田原城を中心とする支城ネットワークに次々と組み込み、関東地方の支配を揺るぎないものとしました。

 このふたりに挟まれ、あまり名を知られていない2代目が氏綱です。しかし、早雲がやり遂げられなかった事業を受け継ぎ、氏康のために北条家飛躍の土台を整えた人物こそが氏綱なのです。その活躍なくして北条家の支配体制は完成しませんでした。氏綱のアイデアが北条家の方向性を決めたといっても過言ではなく、プロデューサーのようなはたらきをしたのです。

 

その才能は父・早雲のお墨付き

 実際、早雲は氏綱の才覚を高く評価していたようで、早い時期から周囲に後継者として認識させていました。

 氏綱が早雲から家督を継いだのは32歳のときで、その翌年に早雲は世を去りました。存命中に相続を行っている点から、早雲の厚い信頼がうかがえます。

 実はそれよりも6年前、氏綱が26歳のときにはすでに事実上の後継者に決まっていたと考えられています。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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