戦国武将、2代目の苦悩(第2回)

黒田長政/詰めの甘い2代目か、父以上の知略家か?

2015.09.30 Wed連載バックナンバー

 豊臣秀吉徳川家康などの天下人や、伊達政宗前田利家ら大藩をなした武将は、ある意味で「幕府」や「藩」という企業の“創業者”といえます。となると、その跡を次ぐ後継者は“2代目社長”とみなすこともできます。

 偉大なる創業者の跡目を継いだ“2代目”には、相当な苦労があったのは間違いありません。彼ら2代目のリーダーたちは、初代から何を引き継ぎ、何を引き継がなかったのでしょうか? 本連載では、2代目だからこそ直面した彼らの知られざる苦労に迫ります。

 

一歩先が読めない、詰めの甘い2代目?

 第2回は「黒田長政」を取り上げます。長政の父は、「天下の大軍師」とか「秀吉に天下を取らせた男」のような大物感漂うキャッチコピーがよくつけられる黒田官兵衛。水攻めや兵糧攻めを使ったり、調略を使ったりしてほとんど戦わずに備中高松城(岡山県岡山市)や日向高城(宮崎県児湯郡木城町)などを落としていますから、そう呼ばれるのも当然でしょう。また、織田信長が本能寺の変で自刃すると、主君の豊臣秀吉に「(秀吉が天下を取る)ご運が開けましたな」とささやくような野心家でもありました。

 そんな官兵衛の後継者となった息子の黒田長政は、1568年、官兵衛が姫路城主となった翌年に生まれました。幼少期、官兵衛が裏切ったと織田信長に勘違いされために殺されそうになったところを、同じ秀吉の軍師・竹中半兵衛にかくまわれ、一命を取り留めます。長政はその後、武勇に長けた武将へと成長。江戸時代に入り、福岡藩の初代藩主としてその基礎を築きました。

 しかし、父と違って特筆する部分がない平凡な2代目、という評価をされがちなのが、長政のかわいそうなところです。

 天下を狙う徳川家康が豊臣家を守ろうとする石田三成と激突した関ヶ原の戦いのとき、官兵衛はすでに隠居の身。黒田家の家督を継いでいた長政は家康に協力しました。そしてわずか1日で徳川方が勝利を収めると、家康から右手を握られて大いに称賛されます。このことを長政が官兵衛に報告したとき、返ってきた言葉は「そのときお前の左手はなにをしていた」。つまり、空いた左手で家康を刺せば天下を取れただろう、と官兵衛に言われたのです。

 このような逸話から、長政は一生懸命頑張ってそれなりの成績を出すけれども一歩先が読めない、詰めの甘い人物と見られてしまうのです。しかし官兵衛と長政には、天下を狙う野心家と地に足の着いた戦国大名という視点の違いがありました。官兵衛もそれがわかっているからこそ、長政を後継者として認めていたのです。

 

現実的に戦国時代を生きた長政… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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