戦国武将、2代目の苦悩(第1回)

徳川秀忠/幕府支配を安定させた“守り”の2代目

2015.09.24 Thu連載バックナンバー

 豊臣秀吉徳川家康などの天下人や、伊達政宗前田利家ら大藩をなした武将は、ある意味で「幕府」や「藩」という企業の“創業者”といえます。となると、その跡を次ぐ後継者は“2代目社長”とみなすこともできます。

 偉大なる創業者の跡目を継いだ“2代目”には、相当な苦労があったのは間違いありません。彼ら2代目のリーダーたちは、初代から何を引き継ぎ、何を引き継がなかったのでしょうか? 本連載では、2代目だからこそ直面した彼らの知られざる苦労に迫ります。

 初回は「徳川秀忠」を取り上げます。江戸幕府の基礎を築いた初代将軍・家康と3代・家光は、重要人物として歴史の教科書でも詳しく取り上げられますが、同じ黎明期の将軍でも2代・秀忠はあまり大きく扱われません。2011年のNHK大河ドラマ「江」で、向井理さんが演じたときには注目を集めましたが、やはり影の薄い将軍という印象は拭えません。

 徳川家に限らず、2代目の存在感や功績はどうしても隠れがちです。しかし、事業を引き継ぎ、次世代にバトンを渡す人物がいなければ、あっというまに幕府も家も瓦解してしまいます。これは会社も同じこと。秀忠はどんな政権運営をしていたのでしょうか。

 

影が薄い? 江戸幕府2代将軍・徳川秀忠

 そもそも、秀忠の存在が埋没しがちなのは、江戸幕府は家康が興して、家光が体制を確立したと教科書などで説明されるのが原因でしょう。偉大な父から引き継いだ幕府をそのまま優れた息子に渡しただけのように見られてしまうのです。

 また、豊臣秀吉亡き後、天下の覇権を握ろうとした徳川家康率いる東軍と、豊臣家の治世を守ろうとした石田三成率いる西軍が争った関ヶ原の戦いに際して、道中の上田城(長野県上田市)で真田昌幸と戦っていたために、本戦に間に合わなかったという大失態を犯しているのも、秀忠の評価を落としている原因と言えます。さらに大坂の陣では関ヶ原の汚名を返上しようと無理な行軍をして家康に叱責されていますから、短絡的で頼りない人物という評価を下されやすいのです。

 しかし、実際に秀忠が無能だったら、江戸幕府は続いたでしょうか。成立直後の幕府は完全な支配力を持っていたわけではなく、むしろ親豊臣派を中心とする大名たちにいつ反乱を起こされるかわからない状況でした。この難しい時期に舵取りをした秀忠が、ただのお飾り将軍だったはずがないのです。

 

家康は秀忠の「守成」の才を見込んでいた

 秀忠の能力を誰よりも的確に見抜いていたのは他でもない、家康です。… 続きを読む

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かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

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