ビジネスから見る鉄道の世界(第3回)

北斗星ラストランを機に、豪華列車の歴史を振り返る

2015.08.14 Fri連載バックナンバー

 上野と札幌を結ぶ寝台特急「北斗星」が8月22日の札幌発の便をもって廃止される。豪華列車を代表する存在として、運転開始後から長い間、好評を博していたこの列車も、今は時代のニーズから取り残された格好になってしまった。その一方で、九州を走るクルーズトレイン「ななつ星in九州」の人気は衰えることなく、JR東日本・西日本でも同様のクルーズトレインを運転開始することがアナウンスされている。時代とともに、豪華列車は移り変わりを見せているようだ。

 それでは、これまで日本では、どのような豪華列車が運転されてきたのか。そしてその魅力はどこにあるのか。歴史を振り返りながら考えてみよう。

 

食堂車が導入されたのは100年以上前、戦前の列車サービスとは

 日本の鉄道で特急列車の運転が開始されたのは、明治時代の最末期、1912年(明治45年)6月のことで、新橋~下関間運転の「1・2列車」がそれだった。新橋~下関間の所要時間は、下りが25時間8分。編成には寝台車や食堂車も連結されていたものの、木造の客車で一昼夜をかけての旅には、大きな苦痛も伴ったことだろう。今日の新幹線であれば、東京から新下関まで、5時間あまりで到着できるだけに、当時の乗客の疲労は計り知れないものがある。

 列車に食堂車が初めて連結されたのはさらに古く、明治時代のことで、1899年(明治32年)に、現在の山陽本線の建設を手がけた私鉄・山陽鉄道が運転を開始した。運転の開始に先立ち、山陽鉄道は多くの若手技士を海外に出張させて、車内のサービスを学ばせたという。運転が開始された食堂車では洋食が提供され、スイス人シェフがつくるパンが好評を博したこともあった。メニューに洋食が採用された理由のひとつには、主食がパンの方が、米を炊飯するよりも用意が楽であるという事情もあったようだ。少し遅れて、1906年(明治39年)4月には、和食を提供する食堂車も登場し、シジミの味噌汁が名物になった。

 一方で、戦前の列車サービスの変わり種として、1935年(昭和10年)に、新橋~下関間に運転された特急「富士」へのシャワー室の設置がある。利用料金は30銭。ただし、4日に1度しか運転されず、当時の日本人にシャワーを使う習慣もなかったことから利用者は少なく、せっかくのアイデアも、ひと夏限りで取り止めとなってしまった。

 

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池口 英司

池口 英司

鉄道ジャーナリスト兼カメラマン

1956年東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。出版社勤務を経て、フリーランスの鉄道ジャーナリスト兼カメラマン。鉄道模型や旅行についても執筆。著作に『鉄道時計ものがたり―いつの時代も鉄道員の“相棒” (交通新聞社新書) 』、『国鉄形車両 事故の謎とゆくえ』、『国鉄のスピード史―スピードアップがもたらした未来への足跡 (のりもの選書) 』など。

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