ビジネスから見る鉄道の世界(第1回)

新幹線の50年。東海道・山陽新幹線の歴史を辿る

2015.06.15 Mon連載バックナンバー

 1964(昭和39)年の東京オリンピックの開会を控えた、同年10月1日、東京~新大阪間552.6kmをつなぐ東海道新幹線が開業しました。時速200kmを超える高速での営業運転は、それまでに世界でも例はなく、「鉄道は時代遅れの乗り物」という当時の世界的な認識を、文字通り一夜にして変えてみせます。

 東海道新幹線は、昨年開業50周年を迎えました。また、これを延伸する形で建設された山陽新幹線も、今年で博多開業40周年になります。そこで、現代の日本の鉄道の中核として運転が続けられている東海道・山陽新幹線について、歴代の車両をテーマに、その歴史を駆け足で振り返ってみましょう。

 

既存の技術だけで製作された「0系」

 東海道新幹線が開業したときから運転が開始されたのが「0系」と呼ばれる車両です。後には「団子っ鼻」と、親しみをもって形容されるようにもなったこの電車のスタイルは、今日の目から見ればなんとなくユーモラスにも感じられるかもしれません。しかし当時はこのスタイルが時代の先端であり、多くの人に夢を与えたのです。

 この0系は、それまでに培われてきた技術の集大成として製作されたもので、台車や車輪、パンタグラフ(電気を得るための装置)など一部に新技術が採用されたことを除いては、車体や主要機器、設備などには既存の技術がそのまま採用されました。それは新しい技術を用いなくとも高速運転は可能であるとする、国鉄技術陣の自信の表れであり、既存の技術の採用によって、信頼性が確保されるという効用も生んだのです。

 試作車両では曲面ガラスが採用されていた運転台の窓は、量産車では平面のものに改められ、これは当時の国鉄のひっ迫した財政事情によるものであったといいます。そのようなところにも、0系誕生時の時代背景がうかがえます。

 

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池口 英司

池口 英司

鉄道ジャーナリスト兼カメラマン

1956年東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。出版社勤務を経て、フリーランスの鉄道ジャーナリスト兼カメラマン。鉄道模型や旅行についても執筆。著作に『鉄道時計ものがたり―いつの時代も鉄道員の“相棒” (交通新聞社新書) 』、『国鉄形車両 事故の謎とゆくえ』、『国鉄のスピード史―スピードアップがもたらした未来への足跡 (のりもの選書) 』など。

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