幕末藩主に学ぶリーダーの資質(第7回)

赤字でも新技術に投資、佐賀藩・鍋島直正の先見の明

2015.03.19 Thu連載バックナンバー

 長いこと製造業は、勤勉な技術者とすぐれた技術力の支えによって、日本の国際競争力の源泉となってきました。近年では、安い労働力を強みとするアジア諸国に押され気味ともいわれますが、その一方で、日本経済復活のカギとして、「モノづくり産業」に期待する声も多く聞かれます。

 幕末にも、高い技術力と財政改革によって危機を乗り越え、倒幕の原動力となった藩がありました。それが、幕末に活躍して明治維新を推進した4つの藩、すなわち「薩長土肥」のひとつに数えられる佐賀(肥前)藩です。

 他の3藩に比べると知名度は決して高くはありませんが、近代以降の「工業立国ニッポン」の原点を幕末の佐賀藩に見る識者もいるほど、大きな役割を果たしています。

 

破綻寸前の藩を引き継いだ鍋島直正

 江戸幕府開府から約200年が過ぎ、太平の世にもしだいにほころびが見えはじめていた19世紀初頭。佐賀藩に危機が訪れます。

 1808年、イギリス船が長崎出島のオランダ人を拉致するという「フェートン号事件」が起こり、長崎の守りを任されていた佐賀藩のずさんな警備体制が露見したのです。現場責任者2名が切腹することで、藩の取りつぶしこそ免れたものの、幕府の命によって藩主が謹慎する事態に発展し、佐賀藩は面目を失ってしまいます。

 藩全体が失意に沈む中、17歳の鍋島直正(なおまさ)が、家臣たちの期待を一身に背負い、第10代の佐賀藩主となります。

 しかし、若き藩主を待っていたのは、破綻寸前の大赤字でした。一説には、当時の佐賀藩は、1年の支出の40%以上を借金で賄わなければいけないほどの財政難に陥っていたといいます。

 もはや財政改革は待ったなしの情勢でした。直正はすぐに質素倹約令を出し、藩庁・江戸藩邸の人員削減、藩士の俸禄米の引き下げなどを強引に行います。

 妻の実家にも頭を下げました。3歳年上の正妻・盛姫の父親は第11代将軍・徳川家斉です。妻の口利きもあり、佐賀藩は幕府から城の改修費として2万両を借り受けています。

 お金にうるさい彼は、「ソロバン大名」と揶揄されることもありましたが、改革の手綱を緩めることはなく、小作農を保護して農業生産を高めるとともに、陶磁器、石炭などの特産品の輸出を拡大させます。公式には35万石だった佐賀藩の実収入は、直正の改革によって90万石を超えたともいわれます。

 

「蘭癖大名」のもとで技術開発に命をかけた技術者たち

 財政改革を進める一方で、直正は異常なまでに蘭学にのめり込みます。… 続きを読む

全文(続き)を読む

続きを読むにはログインが必要です。

まだ会員でない方は、会員登録(無料)いただくと、続きが読めます。

かみゆ歴史編集部

かみゆ歴史編集部

歴史コンテンツメーカー

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史・世界史全般、アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『日本の山城100名城』(洋泉社)、『一度は行きたい日本の美城』(学研)、『戦国合戦パノラマ図鑑』(ポプラ社)、『系図でたどる日本の名家・名門』(宝島社)、『大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)、『国分寺を歩く』(イカロス出版)など多数。お城イベントプロジェクト「城フェス」の企画・運営、アプリ「戦国武将占い」の企画・開発なども行う。公式サイトはwww.camiyu.jp

このページの先頭へ
Bizコンパス公式Facebook Bizコンパス公式Twitter